【映画感想】ナイトクローラー

テレビを観ない生活を始めて5年になる。理由は単純で、自宅にテレビを持っていないからだ。

現在の場所に引っ越す際に、それまで持っていたものは着替え以外あらかた捨ててしまい、引っ越してから改めて生活に必要なものを重要度の高いものから買い揃えたが、未だにテレビはその「生活に必要なもの」に入っていない。

年に数回、スーパー銭湯に行く。その休憩室にテレビが設置されていた場合には、風呂上りにビールなぞを買い、それを呑み終えるまでの間、ぼんやりと眺めたりすることはある。

「やってること変わらないな」

以上の感想がない。変わらない、というのはそのフォーマットであったり、演出であったり、CMであったりという点で、もちろん数年前と今では違う部分もあるのだろうが、さして気にならない。

それでも、関東地区の場合、視聴率が1%でもあれば、そこには40万人もの人間がその番組を見ていることになるらしい(ビデオリサーチ社による)。

そのまた1%、4,000人が「明日、今CMで流れたジュースを買おう」と行動すれば、それだけで50万円程度の売り上げが出る事になる。コンビニエンスストアの1店舗あたりの平均日版が50万円強(BLOGOS調べ)だから、テレビの影響力というのは、それが真夜中の不人気番組だったとしてもバカには出来ない。

同時にそれだけの訴求効果を持つメディアなのだから、そこへコマーシャルを打とうとすればそれなりの金額がかかる。一説によるとゴールデンタイムで15秒のCMを1回打つのに2~300万かかるそうだ(実際には代理店を通じての複数契約となるので、この何倍もの費用がかかる)。豪華出演陣によるテレビドラマも、Youtubeで集めた面白動画も、「報道」という建前のニュースですら、スポンサーによる広告収入がなければ放送は成立しない。返して、そこで数字を撮れる映像には、それだけの価値があるという事だ。


買い叩かれる人生。

「ナイトクローラー」の主人公、ルーことルイス・ブルームが映画冒頭で立っているポジションである。盗んだ金属の山は二束三文にしかならず、口は立つものの就職につながりそうな資格も経歴も無い。座右の銘は「宝くじを当てたきゃ、まずくじを買う金を稼げ」という、お前どんだけ貧しいんだよと突っ込まれても仕方がないものだ。

自分に自信があろうと、それを見せるチャンスが無い。

そんな中、ルーは交通事故の現場に遭遇する。放送局に売るための事故映像は、手間暇かけて盗んだ金属をクズ屋に売るよりもずっと効率もカネもいい。

天啓だ。これは俺に出来る仕事だ。

早速ルーは必要最低限の機材を揃えようと質屋に向かう。ライト付きのホームビデオカメラと、警察無線。たかだか800ドルかそこらの代物だが、それを用意するだけの貯金などもちろんあるはずもなく、盗んだ自転車と物々交換にする。

資本金ゼロからはじまるサクセスストーリー。おいちょっと待て、お前さっき「"宝くじを当てたきゃ、まずくじを買う金を稼げ"が座右の銘です」とか言ってたが、そのくじの金稼いでないじゃないか。

とにかくこうしてストリンガー(事故動画専門カメラマン)となったルーだが、カメラを買う金にも困っている彼にノウハウなどあるはずもなく、事故現場では「お約束」を破って必要以上に「寄り」の映像を撮ったりしたので現場で怒られた。しかしこれはビギナーズ・ラック、テレビ局が買ってくれる程度にはインパクトある映像が撮れていた。

映像に対するギャラは、1,000ドル。

ド素人が見よう見まねで撮った数分の映像が、1,000ドル。

既に機材分の費用は回収し、冒頭に売りつけていた鉄くず以上の利益すら出た。こんな美味しい商売、止める理由は全く無い。

以降、インターネットで得た知識を基に、ルーは様々な事故現場を撮影しながら徐々にノウハウを得る。時には事故者の足を引きずり位置を調整し、「まずは引きで夜景を撮って(クレーンが無いから精一杯背伸びして)、そこからカメラが降りてきて道路に寄ると……怪我人がバーンとフレームイン!!」という、『お前は映画でも撮る気なのか』と叱りたくなる事故現場らしからぬ撮影をする事もあったが仕方がない。師匠も先輩もおらず講習に通う金すらないルーは、こうしたトライ&エラーをひたすら繰り返して修練するしかないのだ。

いつしかルーはいっぱしのストリンガーになっていた。一晩30ドルで手伝う助手も付いた。車もダッジ・チャレンジャーSRTという、中古ですら日本円で300万からはする(カーセンサー調べ)スポーツカーを駆るようになっていた。それまで乗っていたヨタヨタのトヨタ・ターセルに比べるまでもない性能を持つ一台である。車内にはカーナビも付いた。

そしてカメラも報道用のものが、助手の分も含めて2台。撮ったその場で編集できるラップトップも入手した。そうやって彼が撮る映像は、最終的に当初の10倍以上の金額になっていた。

事故・犯罪映像であれば「誰であろうと」撮影を続け、ついには同業のライバルの事故を、助手の死の瞬間を、眉ひとつ動かさずカメラに収める。そこに感情は存在しない。いや、感情は必要ない。事故現場のカメラマンがどんな気持ちでそれを撮影したかなんて、視聴者が考える必要はないし、知ったところでどうにもならないし、そもそもそんな事を考えるやつなんてほとんどいないのだ。

助手を亡くしたルーは新たに2台のバンを購入し、4人のスタッフを雇い入れる。いや正確には彼らは「インターン」で、上手くいけば正社員に登用されることもあるかもしれないタダ働きの連中だ。1人を30ドルで雇っていたあの頃に比べ、4人がタダで働いてくれる今の環境は、経営者としてこの上ない喜びであり、資本主義社会であるアメリカにおいて完全に成功者であり勝者であるといえよう。そのポジションにいるものは、当然ながら買い叩く側なのである。

これが人にも劣る行為というなら、それを観ているお前はなんなんだ。

映像に対しての報酬が高いのは、"お前らが観ている"からだ。

底辺にいたころから、ルーは変わっていない。

善良ぶった胴元のいる、効率の良い仕事を見つけただけの話である。

そんな片棒を担ぎたくなければ、今すぐテレビを窓から投げ捨てろ。

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