不思議な法学 前編
今日は固めなテーマなので、である調で行きます!ちょっと長いので前編・後編で分けます!
1.不思議な古希祝賀論文集
法学界には、不思議な論文集がある。それは、「○○先生古希祝賀論文集」といった刊行物である。古希というのは70歳を指す。喜寿記念論文集なんてのもある。喜寿は77歳。
憲法学でも刑法学でも民法学でもよく見る。
この記事を書くにあたって改めて調べてみると、図書館情報学用語辞典に記載があった。
https://kotobank.jp/word/%E8%A8%98%E5%BF%B5%E8%AB%96%E6%96%87%E9%9B%86-1702516
「個人や団体の経歴上の何らかの区切りに際して,個人や団体の関係者からの寄稿原稿をもとに作成された論文集.個人の場合は還暦,古稀,喜寿,退職などの機会に,団体の場合は創立記念などの機会に企画される.一般に,編者がテーマ,執筆者を決めるか,公募して論文を集め,作成する.刊行時期が定まらず,市販されないことが多いために入手が困難である.」
過去に発表された論文ではなく、恩ある先生のために書き下ろしするのである。
しかし、世話になった先生の記念日にちょうど科学論文が書ける、なんてことはありうるのだろうか。編者から「君、○○先生のために3か月くらいで一本論文書いてよ」とか言われたら、研究者は困らないだろうか。
作家じゃあるまいし、研究者は依頼によって絞り出して書いたりできるのか。そんなことができるなら、とっくのとうに学会誌にせっせと投稿してるものではなかろうか。
こういうスタイルの論文集は、物理学や機械工学、化学、社会学や経済学では寡聞にして知らない。
2.研究の新規性
一つには、論文には研究の新規性が求められるからだ。
「エディテージ・インサイト」という「学術出版関係者のための総合ポータルサイト」を参照してみる。
https://www.editage.jp/insights/how-will-i-know-if-my-research-is-novel
研究に新規性があるかどうかを判断する最善の方法は、文献調査を徹底的に行い、どのような既存文献があるかを把握することです。分野の先行論文をレビューすることで、自分の研究の新規性を確認することができます。
医学系のサイトもみてみよう。これは、医薬品や医療機器の効果を検証するといったテーマを想定している。
https://ogw-media.com/medic/cat_clinic/3746
研究を進める上では、必ず「新規性」が求められます。
卒業論文や学位論文でも、新規性について記述する箇所が指定されていることもあります。
研究における新規性とは、これまでの研究とくらべて、「何が違うのか」「どこが新たな試みなのか」ということです。
研究には必ず新規性が求められるため、どこが新しい視点なのか、説明できるようにしておく必要があります。」
すでにある研究をそのままなぞって行うだけでは、「新規性がない」と判断され、研究に割く時間やコストが無駄になってしまいます。
新規性のない研究では、研究費を獲得したり、学会や科学雑誌に投稿しても、リジェクトされてしまう可能性が高いでしょう。
もう研究結果が出てるのに、古希だの喜寿だの米寿だのに合わせて発表を待っているのは、不思議なことだ。その間に他の研究者が同じような論文を投稿してしまったら、新規性がなくなってしまう。その後に投稿しても、審査で拒否されてしまう恐れがある。
ところが法学ではそういうことを意に介さないらしい。そんな科学あるだろうか。
3.規範の学と存在の学
別の角度から見てみたい。「ザイン」と「ゾルレン」というドイツ語がある。これは規範と存在という意味で、規範についての学、存在についての学を指す言葉だ。
規範の学とは、「すべき」(Should)を問うもので、存在の学とは「あること」(Being)を問うものだ。
法学や倫理学や教育学は規範の学で、経済学や社会学は存在の学と言える。規範の学は、価値についての学なので、データや立証には馴染まない。
例えば、他人に毒物を飲ませること、物を壊すこと(器物損壊)、人を殺すことを悪である、と規定したところで科学的には意味がない。
というのは、医師はいつも毒物を患者に処方しており、解体屋はいつも物を壊しており、刑務所の刑務官は定期的に人を殺しているからだ。
行為そのものには、価値の色がない。それを悪だの善だのいっているのは、人の与えた特定の観点からに過ぎない。
そういった意味でいえば、規範の学は厳密な意味で科学とはいいがたい所にいる。経済学や社会学も物理学や医学に比べれば、未だに全く科学の体を成していないが、それでも証明をしようという指向性はあり、その論理的な基盤も一応はある。
実は法学のような規範の学であれば、いつ自説を出そうと大して変わりがない。どうせ立証なんてできないのだから、新規性があるかどうかも問われない。だから、世話になった先生の古希や喜寿に合わせて、都合よく論文が書けるのである。(法学生や法学研究されている方で気分を害される方がおりましたら、申し訳ありません。)
4.秘め事としての古希記念論文集
そしてそれらの論文はやっぱり無理やり書いていて、一般人に読まれたら恥ずかしいのではないか。というのは、「刊行時期が定まらず,市販されないことが多いために入手が困難」(先に引用した図書館情報学用語辞典の一節)なのである。
私も法学部図書館に出入りするようになってから、こういう刊行物の存在を知った。○○先生喜寿記念論文集なんてものは、法学部の先生同士の秘めやかな行為なのだろう。
なんというか中元歳暮を論文という現物でやり取りしてる風で、古風な感じが否めない。
とりあえず前編の結論として、法学には客観性ある科学としての魅力がないことを指摘した。最近、東大で法学を専攻する文一の人気が落ちているのは、こういった背景もあるのだろう。
では、法学とはいったい何なのか?それは無意味な営みなのか?
🪂
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TO BE CONTINUED...... 後編はまたいつか…
お読み頂きありがとうございます!
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