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隠れ念仏-薩摩藩で弾圧された浄土真宗-

中世日本のことについて、最近知ったことがあります。弾圧されたのはキリスト教だけではなく、浄土真宗もだったということです。

中世には、秀吉による伴天連追放令が出されました。以降キリスト教弾圧が明治時代まで続く訳ですが、実は浄土真宗もかなり弾圧されていました。直木賞作家の五木寛之がチラッと触れていたので、調べてみました。

「隠れ念仏」でググると出てきます。

隠れ念仏は、権力から禁止された浄土真宗(一向宗)の信仰を、権力の目から逃れて信仰すること、或いはそれを行う者や集団を指す。

島津家による公式の禁止令は慶長6年(1601年)に出されている。これは慶長4年(1599年)日向国において庄内の乱が勃発、この首謀者が熱心な一向宗徒で影響しているという説がある。以後約300年にわたり禁制が続けられた。

時には大規模な摘発が行われる場合もあった。特に、天保6年(1835年)から行われた摘発では約14万人が処分の対象となり、天保の大弾圧と呼ばれている

薩摩藩では「石抱き」という拷問が行われた。三角の割木を並べた上に容疑者を正座させ、幅30cm、長さ1m、厚さ10cm余、重さにして30kgの平たい石をひざの上に一枚ずつ重ね、体を前後に揺さぶる。石が5枚ぐらいになると足の骨は砕け絶命することもあったという。この拷問は一向宗信徒のほかにはキリシタンと主殺しのみに適用された。

かなり本格的に弾圧されています。
五木寛之は、「鹿児島の隠れ念仏の洞にあった優しい笑顔の親鸞像こそ、自分のイメージする親鸞だった」と述懐していました。

また、京セラの稲盛和夫会長も鹿児島出身で親が浄土真宗だったそうです。幼少期に真夜中に父に山奥の小屋に連れて行かれ、仏壇の前で念仏を唱えている老人(多分僧侶)に会ったことがあるそうです。彼から「毎日よく仏を拝みなさい」という一言を貰ったエピソードがあるようです。

浄土真宗は加賀の一向一揆や織田信長に対する石山本願寺の戦いに見られるように、領主を殺してしまったりする攻撃的な要素もあり、弾圧されたようです。

また島津家の儒仏に篤い武将にとって、忠を軽んじ妻帯肉食する一向宗が嫌悪の対象となっていたとも言われています。(親鸞は僧侶なのに結婚して子供を沢山産んでいます。)

ちなみに明治維新では廃仏毀釈により、他の仏教寺院も皆壊され(特に鹿児島は激しかった)、その後には浄土真宗の信徒が江戸期よりも増えたそうです。

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