不思議な民主主義
突然ですが、今の小中学校で、クラスの学級委員長をクラスの生徒の投票で決めている学校ってどれだけありますか?
1985年くらいから小学生やってましたけど、自分の時は、先生が大体決めてた記憶があります。
多数決で決めてましたか?
民主主義について、結構面白い論点があります。
凡人の集団が、どうして優秀なリーダーを選出できるんですか?というもの。
凡人っていうのは、観察力や判断力も凡庸なんですよね。そういうダメな人の判断を積み上げたところで、最終的な判断が最善になりえる可能性なんてほとんどない、ですよね。
小学3年生が立候補と投票で自分たちのリーダーを決める際に、単に面白い人を選んじゃう、なんてことはよくありがち。
優秀な人が優秀な人を見つけて指名するとか、後任に据えるっていうのは、論理的には有能さが保証されている気がします。
でも、歴史的に見て人類の大多数が今選んでいるのは、前者の民主主義ですね。
これはなぜかというと、エリートが次のエリートを選ぶ(今の中国の共産主義みたいなものですが)となると、やっぱり偏りが出てくる、腐敗する、というデメリットがありそう。
「魚は頭から腐る」の謂い通り、国勢の衰えが出てくる時には指導者層から堕落していくんじゃないでしょうか。
また支配される側も常に不満を抱えます。
一方で、民主主義には、人民理性への割と楽観的な見方があります。例えば、すべての人は限られた範囲とはいえ、自分の分野はよく知っているのだから、それぞれを一票にして積み上げたものがそれなりに妥当な解になるだろう、というようなです。
カリスマ的な存在が全てを統括するような社会では、単なる一人の人間が社会全体を隈なく把握しているような世界観が必要です。
これってやっぱりあり得ないことですよね。
そういったことをイギリスとかフランスの人は経験的に学んできた。
キエルケゴールとかニーチェの「神は死んだ」っていう宣言は、神の代理である王の権威もなくなった⇒人民の時代だ!⇒民主主義だ!という意味だと思います。
Sovereign(主権)という言葉の用法の変遷を見ると、それが如実に出ています。
まず神の主権、それから君主や国王の主権、さらに時代が下って人民主権となります。
啓蒙主義や理性主義が、神の代理として振舞う君主の仮面をはぎ取ったわけです。それって嘘くさいよねって。
冒頭の学級委員の例えでいえば、「先生はなんでも知ってるんだ。君たちはまだ未熟だから先生が決めるね」から「あの嘘くさい先生追い出しちゃったけど、まぁ僕らにも物事の是非を判断する能力はあるし、皆で決められるでよね」という転換です。
とはいえ、さらに時代が下るとヒトラーが選挙で選ばれます。ここから「ヤベー奴選んじゃったな………もしかして民主主義って危ない制度?」っていう懐疑論が出てきます。
それを深く反省して今の自由主義社会は成り立っていると思います。
それから、年齢を問わず一票という制度も実は驚くべきことだと私は思います。
いまだに年功序列の組織って多いですよね。会社はもちろん学校もそうじゃないですか。それってやっぱり豊富な経験もあるし、先人の積み上げてきたことへの敬意とか、そういう要素があると思うんですよね。
そう考えると、一人頭一票じゃなくて、年齢×1票の方がいいんじゃないか?
20歳の人は20票持ち札があって、80歳の人は80票の持ち札がある、というような。これって案外みんな、頷きかねない発想だと思うんです。
だって16歳とか18歳でいきなり一票持てる基準って意味わかんないでしょう。1歳1票、5歳5票、10歳10票の方が実態に合ってるような気がします。(ここまで格差をつけずとも5歳単位で1票ずつ増えるみたいな)
そう考えると、若者の1票ってのは、お得感があると思います。
20歳の若者が、60歳の壮年と同等の発言権が認められているわけですから。
深く考えると、民主主義って案外不思議な制度で理屈より経験則で成り立っている部分が多いと思います。
自分たちの人生を、この妙な制度でやり繰りしているという事実に、結構私は驚くんですが、みなさんはどうでしょうか。
頂けるなら音楽ストリーミングサービスの費用に充てたいと思います。