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なんのための身体

身体がなければいいのにな、

そしたら寝なくていいから

時間の限り知りたいことを知れるし、

疲れる頭もないから好きなことを

考え続けられる。


身体にまとわりつくいろんなことも

問題じゃなくなるし、

それで不快になることもない。




もし身体がなかったら、

なにができなかったかな。


たとえば、自分の意識だけが

身体を持たずにあったとしたら、

ああそうだったらいいのにと

思ったりもするけれど


もしそうだったら、

きっと他者と触れ合ったり

何かを共有したりができなかったかな。

すべてのことが自己完結していたかな。


いや、意識の共有はできるかもしれない

だけど同期するみたいな共有の仕方は

わたしがわたしじゃなくなるから

やっぱりだめで、

きっと身体があることで

"わたし"の境界線を保ちながら

不自由だけど通じ合うことができる


人は他者と全てをわかりあうことは

不可能だけれど、

それは人がそれぞれ違う存在だから

同期してしまったら同じになるけど

それは人間でもなくなる



すべてをわかりあえないからこそ、

"わたし"でいられる

そう考えると、

人はそれぞれが違う存在であるために

身体をもったのかもしれない




または、もっとシンプルに

においやぬくもり

抱きしめる力の強さ

あなたの声を感じるためかな



下手な表情や目の語らいを

上がったり下がったりする口角を

色みのうつる頬や耳を

冷たくなった指先を

空気まで震わせてるんじゃないかと

心配になる自分の鼓動を

理由のわからない涙が肌を熱くさせるのを

他者の身体にじぶんの手が触れるのを


感じるから生まれる感情

を、知るためかな



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