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家族
前回のnote で2つ記事を出すと言っておきながら出さなかったダサい行動をしたので、今日こそ2つ記事を出します。
私の友人(その人は私と関わりが少ないので私のことをきっと友人とは思ってないであろう)が「家族」についてnote していて、その記事を見てnote を書きながらでも家族のことについて考えようと思い今に至ります。
私の母と父はもう離婚しています。
私が小学校に上がる前に離婚しました。
当時2歳の妹もいました。
私と妹は母についていくことになり、母はシングルマザーとしてたくさんの幸せを私と妹に与えてくれました。
私が小学5年生の時別の男性と母は再婚しました。
小学5年生ながらに、私と妹を1人で養うことに経済面で厳しいと考えて愛のない結婚をしたと再婚には強い反対の意思を思っていたのを今でも覚えています。
それと同時に2人目のお父さん(第2の父と呼ばせていただきます。)との間に子供まで授かりました。
その時は心の底から喜べなかったです。
これから生まれた子供にだけ愛情が注がれ、自分と当時まだ小学1年生の妹は相手もされずそのまま家を追い出されるんじゃないか。
とにかくこれからの生活に不安しか感じないような毎日を過ごしてました。
小学6年生の時に子供が生まれ、
自分が想像してた、恐れていた「家族」とは
全然違った生活が始まりました。
第2の父は血の繋がっていない私と上の妹と3人で「旅行に行こう。」と言ってくれました。
あの時は本当に嬉しかった。自分が今まで感じていた一抹の不安を一瞬でかき消し閉ざしていた心の扉が開いた感覚でした。
初めての旅行。大分旅行。
別府タワーに登ったり、美味しいご飯食べたり、夜はお金がないのでコンビニで買ったポケットサイズのオセロを3人でワイワイしながら車中泊。
単身赴任でなかなか家にいないことの多い第2の父、休みの日ぐらいゆっくりしたいにもかかわらず自分たちのために体に鞭打って旅行に連れて行ってくれました。
それから5人での生活が始まり生活もカツカツでしたが本当に「家族」という感じの毎日。
試合の日の野球の送り迎えもしてくれたし、夜ご飯も外食によく連れて行ってくれた。
自分なりには幸せな時間を過ごしていました。
そんなこんなで月日が経ち、私が高校2年の時に母と第2の父は離婚。
性格の不一致だとかなんとか。
母が短気で恥ずかしがり屋というのもありお礼を言ったりするのが苦手な人で、そういったところで第2の父と離婚間際にはよく喧嘩をしてました。
妹2人が泣きじゃくる中、両親2人で怒鳴り合い。
家族が壊れる瞬間も見てきました。
楽しかった5年半に終わりが告げられました。
親権争いでも母が勝ち、一番下の妹も含め3人をシングルマザーとして養うことになりました。
その時はまだ高校生だったのですが、大学進学を考えるどころか、中退して妹2人のために働こうとしました。
でも母は「好きなことをしていいから」と一点張り。
高校もしっかり卒業させてもらって、
やりたいことのために福岡の専門学校まで通わせてくれました。
そして今では東京で仕事をして。
ここまで何不自由なく育ててくれた母には感謝しかありません。
けど母はまだ2人の妹を立派な大人にさせるまでまだまだ長い長い戦いをしてます。
社会人になった今、現実的に助けれることも増え、親孝行ではないですが微力ながら母にお金を送ったり、連絡を取ったり出来る限りの事はしてます。
実の父親は仕事の関係で千葉におり、今年の1月に10年以上ぶりに再会しました。
本当に嬉しかった。
本当に家族という支えなしでは生きていけなかったと思います。
でも逆にこういった貴重な経験をしたからこそゆえに自分が家族を将来持つことになれば、自分と同じような目には合わせたくないなと心の底から思ってます。それが今の自分を突き動かす原動力でもあります。
ずいぶん重い話になりましたけど
1度「家族」に関して言語化して、何か記録に残るものとしてあればいいなと思い書かせていただきました。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
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#けど言葉にできない #感謝に愛
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