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「タコの心身問題」の感想

タコの心身問題を読んだ。

当初は著者が哲学者ということもあってあまり期待していなかったが(僕は哲学的な話より生物学的な話が好きなので)、読んでみればかなりフィールドワークの生物学に近い話だった。それに今まで知らなかったトピックもけっこうあり、個人的にはかなり良かった本である。論理的に話を進めるところもあれば、トピックを散漫に言っているように見える箇所もあるのだが、そういう所も含めて総じて大変面白い。

・動物の知覚世界、「世界のモデル」

ハトは右目と左目で別々に学習する。ハトの左目だけを隠して右目だけで学習させたことを、逆の目を隠して行わせると上手くできない。人間でこうしたことが起きないのは脳梁があるからで、人間でも脳梁が切断されるとこうした状況が発生する。(言語を司るのが左脳なので、何を見たかを答えてもらうと右目で見たものを答える)タコの神経系も分離されている傾向があるが、何度か訓練するとハトのようにはならないという。また、ハトは一つの目の中でも二つの領域が別れて統合されておらず、ニワトリは新奇の対象物に対してジグザグに近寄るという。動物の中には視界の左側に捕食者がいた方が反応が早いという動物が多くいるし、食物を探す際には視界の右側に食物があった方が知覚しやすいという動物も多くいる。

カエルの神経系の一部の配線を繋ぎ変える実験をすると、左にいる標的に向かって右に飛びかかる(逆も同様)行動が見られたが、障害物を避けて進むという行動は普通にできたという。カエルの脳は一つに統合された知覚世界を持たないのでは、という考え。

・動物の意識について

意識≒グローバルワークスペース(ワーキングメモリ)(作業や思考のために感覚が統合される場)は主観的経験のうちのより高度なものであり、主観的経験は根源的な感情(痛み等)を含むより大きなもの、とする考え。人間のグローバルワークスペースについて、脳の領域や機構はある程度解明されているようで、それに該当する部位がない動物には意識がないように考えるのが妥当なように思えるが、グローバルワークスペースがない生物にも主観的経験はあるのではないかと著者は言う。

人間は二つの経験が一定以上の時間が離れていると意識的でなければ学習できないらしい。光の後に強い風を吹きつけられた人は、光と熱風の間隔が一秒に満たないなら、光を見ただけで無意識に目を閉じるように学習する。しかしそれ以上に間隔が長くなると意識的にしか学習できない。一定以上の時間を要したり、複数の行動を連続させたり、慣れていない新奇のものには意識的な学習が必要であるという研究がある。この研究結果はグローバルワークスペースの考えに関連させることができる(と著者は明確に言っていないが、本書の構成上、そういう風に読める)。そして、そうした学習や意識に関連する脳の部位はある程度特定できているようである。

痛みを引き起こす物質を注射された魚が鎮痛剤の入った環境を好むようになる、怪我をした鶏が鎮痛剤の入ったエサを好むようになる、ヤドカリが電気ショックに対する反応を周囲の環境によって変える等の話もある。著者は、傷をいたわる仕草をする動物はやはり痛みを感じているのではないかと言う。(もちろんそうでない可能性もある、とも言っている)

・神経系の役割

神経系の役割は外界からの刺激を中枢に伝え、中枢から運動機構に指令を伝えるためにある。しかし、より原始的には身体内部の各細胞や機構の働きを調整することの方に重きが置かれていたのではないか、と著者は考えている。エディアカラ紀の動物は細菌などの微生物が固まってできたマットの上を食べながら這いまわっていたので、外界からの刺激はそれほど重要ではなかったのではないか。しかしカンブリア紀になると、動物同士が捕食ー被食の関係になり、感覚器や様々な身体構造を進化させていくにつれ、神経系の役割は外界からの刺激を中枢に伝えることの重要性が増してきたのだろう、と。身体内部の調整でいえば、神経系の発達はおそらく生物の巨大化(多細胞化)や動作の複雑さに関連しているのだろうという気はする。神経系に頼らないホルモン系(化学伝達物質による伝達)では伝達速度に限界があるのだと思う。注釈によれば、ホルモンは本来、単細胞生物が個体間で情報を伝達し合うのに使っていただろうという説があるとのこと。面白かったのは、エディアカラ紀は微生物のマットが資源として一様に分布しており、それを食べる動物が死ぬと動物自身がより栄養価の高い資源になって、資源の偏りが生じる、という流れ。やがてその偏った資源である動物の死体を食べる動物が現れ、最終的に生きたまま食べる動物も現れる、それがカンブリア紀だ、ということらしい。エントロピーの低まり(?)を感じる。

・タコやイカの意識

タコは色が違う以外は全く同じ物体を見分けることができなかったという実験。タコはモノクロの世界を見ている。しかし体の表面では様々な色を感知している可能性もある。威嚇や怯えの体色があるので、人間から見れば体色でコミュニケーションしているようにも思える。(モノクロでも模様や濃さであれば見えるはず)。これは僕の意見だが、本書の中のグローバルワークスぺースの話について、それが統合された感覚の場であり、意識は時間的に間隔の開いた物事の学習のためにあると考え、かつ人間の脳の特定の部位と完全に対応していないといけないという点に目をつむるならば、本書の中で示される実験でタコは一定の時間が経過した経験同士を学習しているように思えるので、タコは人間と同じ神経系は持たないが、人間のグローバルワークスペースに相当するものを持っているのではないか、と思う。(これはしかし、タコが一定の時間間隔が開いた経験同士を無意識に結びつけて学習できない、という人間と同じ前提を勝手に僕が置いている)そういう仮定をいくつか置くならば、タコはなんらかの黒のクオリア、白のクオリアは持つのではないだろうか、とも思う。本書で紹介されるタコやイカのエピソードに、水族館の特定の職員に水を噴きかけたり、水槽の排水弁を(意図的に?)詰まらせて水を溢れさせたり、電球に水をかけて電気を消したり(これは結果的にそうなったということだろう)、気に入らないエサをわざわざ人間が戻ってくるまで待ってから排水弁から捨てたり、水槽の中で瓶のフタで遊んだり、二枚貝のいない海域のタコが二枚貝の食べ方を学習したり、人間が見ていない時を選んで脱走を図ったりする等があり、これを全て無意識に行っているとは、僕にはそう思えない。コウイカにはREM睡眠に見える行動もあるらしい。

タコが体中に視覚を持つという話では、ピーター・ワッツの「ブラインドサイト」に出てくるスクランブラーを思い起こす。スクランブラーのモデルとなったのはクモヒトデで、ある種のクモヒトデにはタコと同じように全身に目が存在する(体中に穴が存在し、それがきちんとレンズになっている)。またタコは左右相称動物であるが、クモヒトデは放射相称動物であり、おそらく分類だけで見るならより原始的な動物といえるだろう。「ブラインドサイト」では最終的に生存競争の中で意識は不利益になるということが明言され、意識をもつ人間は淘汰されていく運命になる。(意識の喪失というと「ハーモニー」を思い出すが、あれはどちらかといえば道理的な理由、倫理的な理由により意識という機能を失うということを人間が選択する話だった)細かい点は忘れたが、痛みというものは「ブラインドサイト」の主題の一つで、作中に出てくる地球外生命体は全てを痛みとして受け取る。全ての外界からの刺激を敵対行為、苦痛として受け取るというようなことが書かれていたと思う。スクランブラーは食物を取る機構が存在せず、それは生まれた(というより生産された)時点のATPをひたすら消費して最後に停止する一つの構造として描写される。作中の(極めて倫理的な)生物学者は、彼らが食物を取れないことから仕方なく電気ショックによる負の動機付けを行い、言語を学習させてコミュニケーションを図ろうとする。生物学者はその実験中ずっと泣いている。

ちなみに関係ないが、「タコの心身問題」の冒頭のエピグラフ(人類学者ローランド・ディクソンの言葉)は著者がSF作家チャイナ・ミエヴィルから教えてもらった言葉らしい。ミエヴィルの作品「クラーケン」についても言及がある。

・老化の進化理論

本書によれば、ピーター・メダワーやジョージ・ウィリアムズ、ウィリアム・ハミルトンといった生物学者が老化の進化理論ともいえる考えを確立していったようで、その考えは、老化は動物が後年になると発現する不都合な(致命的な)突然変異の一つであるということだ。もし老化が起きない動物がいたとして、この動物は一定の確率で発生する外的な要因(被食・飢餓・落雷など)のみにより死亡するものとする。この動物は一定の年齢に達すると生殖し、子孫を増やす。そうするとその動物は老化はしないものの、ある一定の年限でほとんどが死亡していることになる。さて、動物は繁殖すると子に一定の確率で突然変異が起きるが、この突然変異には一定の年数にならないと発現しないものがある。例えば、ある一定の年数になると致命的なプロセスを引き起こす突然変異が起きた場合、その年数が小さい(例えば生殖可能な年齢に達するまでに死ぬような)ものだとその個体は子孫を残さず死ぬので、その有害な突然変異の因子は除去される。しかしそれがかなり高齢に達さないと発現しないものであった場合、その因子はあまり除去されない。(なぜなら多くの個体は外的な要因により、その因子が発現する前に死ぬから)。つまり、その高齢にならないと発現しない因子が老化そのものだ、という話。この話はもっと進めることもできて、若い頃には繁殖に好都合だが高齢になると致命的になる不都合な突然変異が起きた場合、老化という現象が発生する個体は、老化しない個体より増えることになる。ここで明示されているのは、老化は単にモノが古くなるから起きるのだ、ということではなく、生物の構造が崩壊する因子が遺伝子に組み込まれており、それが進化の過程で排除できなかったということだ。つまりその因子を遺伝子から排除すれば老化は起きないということも(おおざっぱに言えば)意味すると思う。僕はこの考え方を知らなかったのでかなり驚いた。

一般のタコやジャイアントカトルフィッシュの寿命は1、2年であり、著者はこれほど寿命が短いのは彼らの生態と関係があると考える。比較的浅い海を自由自在に動き回って餌を探し、殻を持たずに被食の危険に晒されるような彼らの生態から考えれば(外的な要因による死である)自然寿命はかなり短くなるのだろうという。メダワーらの説を援用すれば、自然寿命が短くなれば、老化が始まる年齢も自然と早くなる。一方、タコやジャイアントカトルフィッシュは殻を脱して自由自在になった体をコントロールするために発達した神経系をもつことになり、強い淘汰圧により精巧な擬態の能力も持つに至ったのだろうという。また、深海性のタコには推定寿命が16年と思われるものも存在し、それは外敵の少ない深海という環境と、温度の低さ(温度が低いと代謝が下がる)が要因だろうとも言っている。

終盤のジャイアントカトルフィッシュの墓場のような場所の描写が良い。ストーンヘンジのような地形に老人イカが何匹か集まっている。表皮が剥がれ、体色を変えることができなくなり、腕も欠損していき、ゆるやかに死を迎える。浮沈も制御できなくなり回転しながら浮いていく。

・オクトポリス

オクトポリスは投棄された人工物の周りにタコによってホタテ貝の貝殻が集められたか、あるいは最初に人工的に大量に投棄されてできたのだろうという。筆者はこの場所をタコによるエコシステム・エンジニアリングが見られる場所としている(環境が生物によって変えられる場所)。ホタテ貝の貝殻はタコの巣穴の建材に適しており、最初に住み着いたタコが集めた貝殻が他のタコをひきつけ、それらのタコがまた貝殻を集めるというフィードバックによって形成されたとする。彼らが意図して集まったというよりは、良い環境にタコが引き付けられたということらしい。タコの幼生は遠く流されることが多いため、オクトポリスという狭い範囲で特殊な進化が起きることはないだろうが、一つの可能性の在り方を示してくれる。

・二人の学者

70~80年代にパナマで活動していたマーティン・モイニハンとアルカディオ・ロダニチェという二人の学者はアメリカアオリイカが色と体の姿勢によって様々なディスプレイを行って互いにコミュニケーションを図っていると発表したが、後の研究者には(あるいは今も)懐疑的な人も多かったという。また、彼らは82年に過去に記録のない異常な外見をしたタコを発見したと報告した。そのタコは何十もの個体で集団をなしており、中には巣穴を複数で共有する個体もいたという。これについての発表は当時の学術誌で拒否されてしまったが、2012年に同じタコが発見され、飼育環境下でも二人の学者の報告した通りの行動が確認された。このタコが集まる場所は現在、海洋生物を収集するニカラグアの企業が把握しているという。リチャード・ロス、ロイ・カルドウェルという人物らによってこのタコは研究されているらしいが、かなり気になるところである。

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