国語教師が考える、男性フェミニストを名乗る人に対する素朴な疑問②

先日こんな文章を書いたところ、男性フェミニストを名乗る「弱杉」さんという方からコメントをいただいた。
本当にコメントがあるとは思ってなかったので、ちょっと嬉しい。

ぜひ返信して議論を楽しみたい、そして詳しくない分野について書いたものなので、教えも請いたいと思ったのだが、長くなりそうなのでこうして別記事にさせてもらった。

ここから読んだ人は、わざわざリンクを読み直すのはめんどくさいと思うので、僕が書いた疑問をごく簡単にまとめると「フェミニストの目指す社会構造の変革は、男性にとって不利益になり得る可能性もあるのに、なぜそれを支持する男性がいるのだろう。自己中心的に生きる僕にはよくわからない。」というものだった。
それに対していただいたコメントが以下である。

>自己中心的に生きることを全肯定する僕には全く理解できない考え方である。

これが全てじゃないですかね。

自分の損得はすごく大事だけど、
全部の基準がそれだというのはカッコ悪いし、
少しはやせ我慢しないと、
てとこですかねー。

仮に自分の得が誰かの犠牲の上に成り立っているとしたら
何となく居心地が悪いなー、みたいな。

弱杉さんはまず「自分の損得が全てと考えるのはカッコ悪い」そして「やせ我慢のカッコ良さ」について触れておられた。
言い換えれば「自分がこの生き方がカッコ良いと思うから」フェミニストであろうとしている、ということで良いだろうか?
だとしたら、少なくとも僕にとっては大変に納得のいく理由である。
僕自身、男としていかにカッコよく生きるか、ということは人生のテーマの一つだ。

実は以前にこんな文章を書いた。

これも踏まえて、失礼かもしれないが「その方がカッコいいから」という理由は自分の価値観=自分のための考え方だと思う。それならば弱杉さんとは、考え方が共通する部分もあはずだ。

では何が違うのか。
僕はフェミニストであることをあまり「カッコいい」と思えないのだ。だからその思想がよくわからない。
それは以下の2点が理由かなと思った。

1、フェミニストの目指す社会は、本当に社会全体のためになり得るのか。

この疑問については最初のリンクで述べた通りだ。この文章だけ読む人はめんどくさいだろうから簡単にまとめると書いたが、やっぱりできれば読んでほしいm(_ _)m
フェミニストと一口に言っても、個人の思想は千差万別だと思う。ただ恐らく「公平公正を目指す」というのは共通認識だろう。それは言い換えると不正を認めないクリーンな社会を目指すということで、それによって今まで許容されていたのに許容されなくなるであろう物事、その不自由さと天秤にかけた時、それを一人ひとりが個人として本当に受け入れられるのか、ひいては本当に社会全体としての利益になるのだろうか、という疑問がある。
個人的には、風俗店なんていうのはグレーゾーンが多い業種で、それをクリーン化してナシにされてしまうとなると、ちょっと受けいれ難い。こういった、個人の欲望としてフェミニズムよりも優先したいこともある。
社会的には、クリーンになることで、ある分野で有能なはずの人物が、その分野とは別の理由で排除されるという問題がある。MeToo運動しかり、これは色んな世界で現実に起きているわけで、個人的にはそれがどうも気に食わないし、違和感があるのだ。
真の平等を目指し続けると共産主義にいきつくし、その失敗は既に周知の事実であるはずだ。
自分がいくら有能でも頑張っても、無能で頑張らない者と同じ分け前しかもらえないのでは、誰も頑張らない。能力を発揮しない。
それは社会全体のデメリットではないか?
話が飛躍し過ぎだと言われるかもしれないが、クリーンな社会をつきつめると、こういうことになる気がする。
だからこそ、ある程度「強者の特権」「天才のワガママ」みたいなものが許容される世界であった方が、社会全体のためなのではないかとも思う。
こういう部分で、フェミニストが目指すでたろう公正公平=クリーンな社会に対する疑念と違和感があるわけだ。


2、現状のフェミニストを名乗る人々のやり方に気に食わないところが多い。

とは言え、もちろん男女は平等であるべきだと思う。でもそれはあくまで法に基づいて、という意味でだ。
ルールが平等でないなら変えた方がいいとは思うし、逆にルールの中でやってる以上は、別の力が働いて不利益になるような状況はよくないとも思うのだ。
人間なんて元々愚かな生きもので、潔白でい続けることは難しい。その部分を調整するのが法のようなルールだという考え方からである。
しかし、最近の流れを見ていると、法とは別の部分で「フェミニストでない」と認定される行動を取ると、叩かれて炎上して、社会的に不利な状況に陥る現状がある。
こうした明確なルール違反や違法ではないのものに対して、自分たちの正義を振りかざしてみんなで責め立てるというフェミニストたちのやり方が、僕には気持ち悪くてカッコ悪いものに思えるわけだ。
それにはどこまでOKでどこからがアウトかという明確なルールがない。そのルールが周知されていない。
いつの間にか変わってしまった価値観に基づいて、そうではない誰かを責める、裁く、という行為が気持ち悪くて仕方ない。
世論や空気というのは当然あると思う。しかし、そんなはっきりしないもので誰かが排除されて浮かび上がれなくなる、という状況は健全ではない気がする。
僕がMeToo告発、瀬戸大也、森・元会長、小山田圭吾や小林賢太郎、メンタリストのdaigo(どこが大文字かわからん)の問題まで、全てがフェミニズムに関係するわけではないけど、最近の炎上案件に違和感があるのは、この部分が大きいように思う。


長々と書いてしまったが、この辺りについて、弱杉さんはじめ、ぜひフェミニストという人々の考えを聞いてみたい。
お手数ですが、コメントでも別記事でも、反応をいただけると幸いです。

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