国語教師が考える、男性フェミニストを名乗る人に対する素朴な疑問

まず話しておくと、僕はフェミニズムについて真面目に勉強したことはないので詳しいことは知らないが、ざっくり言うと「男女平等」を目指しているんだな、そのために「男性優位とされる社会構造」を作り変えたいんだな、くらいの認識である。

自分では別にフェミニストでもアンチフェミニストでもないつもりだ。
ただ人を小馬鹿にするのは大好きなので、自分が気に入らないものを見ると、すぐに涙が溢れて止まらなくなったり震えだしたりするタイプの声の大きいフェミニストをネタにして笑うことはある。
後は自由と寛容が人生で最も大切なものだと思っているので、巨乳の絵の献血ポスターにイチャモンをつけているのとかを見ると、気持ち悪いな、とは思う。
そうすると「私たちもそのポスターに対して気持ち悪いと感じるから声を上げたのだ」なんて言われそうだが、もちろん気持ち悪いと感じるのは自由だ。
ただ、その感情をわざわざ拡散させて抗議して、撤去させようという執念というか、寛容さの欠如に対してなんか気持ち悪いと感じてしまうのだ。

まーそれをアンチフェミニストというのだ、と言われれば、「そうですか」と返すしかないんだけども、少なくとも男女平等に反対ではないし、なるべくならそうなるといいな、とも思っている。
ここで言う「男女平等」とは、性別が職業や出世や賃金の格差につながらない方がいいなとか、妊娠や出産が仕事上不利にならないシステムがあるといいなとか、家事や子育ては共働きであるなら男女協力して同じくらいの配分でやればいいよね、とかそれくらいのもんである。

ただ、それは他人事として「そうなった方がいいよね」くらいのもんで、特に積極的に働きかけようとは思わない。
理由は簡単で、僕が男だから。いわば優遇される側の性だからである。

ぶっちゃけ自分が優遇される側にいるとして、その状況を積極的に変える必要ってあります?
わざわざ言葉にするのは憚られる考え方だろうが、実は結構な数の男性は無意識的にでもそう考えているんじゃなかろうか。

うちの業界は少なくともシステム上は賃金も出世もわりと男女関係ないと思うし、それはいいことだと思う。
でも、例えば自分がバリバリの商社マンとかで、その会社では男性が出世しやすいシステムだとして、そのシステムを変えたいと思わないだろう。
医学部の受験生だとして、大学が男子生徒に下駄を履かせた評価をしてるのなら、それはラッキーくらいに捉えるし、変わってほしくないと望む。
競争相手は少ない方がいいに決まってる。
また、結婚して子供ができたとして、家事育児は共働きなら均等にするのが妥当だとは思うが、もし急なお迎えや呼び出しとか、なんかめんどくさいことがあった時に、できれば仕事を理由にうまいこと妻に押し付けられないかな、と思ってしまうかもしれない。
その余地を残しておくという意味では「男は仕事」みたいな価値観はあった方がお得な気もする。

そこで疑問なのが「男性フェミニスト」を名乗る人たちの存在である。
彼らはなぜフェミニストを名乗り、なんのために活動しているのだろう?
「自分が損する可能性」があることを、なぜ推し進めたいのか、というのが本当に不思議なのだ。

「女性に寄り添うことでモテたい、ヤリたい」と言うなら理解できる。もしくは「時代の流れに乗ってビジネスチャンスを伺っている」「金になるからやっている」という人。でも彼らはそうではないと言う。
まぁそれを公言すると、ビジネスチャンスもセックスチャンスもなくなるので、公言しないのは当たり前か。

他にもnoteやブログなんかをパラパラ読んでみると
「自分自身が社会的弱者の立場にいるから、女性が置かれる立場に気がついた。女性に限らず弱者が虐げられる状況を是正したい。」
みたいな立場の人も多いようだ。本気でフェミニズムを実現しようとしているのはこのタイプが主流と考えてみる。

そこにもやはり疑問がある。
まず、なぜ「強者側になろう」と考えず、構造を是正しようという方向に向かうのか。
それってつまり「自分は強者になることを諦めました」という宣言とも取れるわけで、自分の弱さを肯定して、開き直って、「弱者が生きやすい社会にしよう」と、その責任を社会に求めているように思える。
自分の弱さやダメさは認めた方がいいと思うし、そこで開き直ることも必要だと思うが、「その責任を社会に求める」というところが、どうも腑に落ちない。
そもそも労力とメリットを考えると「構造を変える」より「自分の弱さは認めた上で、別の戦い方を考えて有利な側に立つ」方が圧倒的に実現する可能性は高い気がする。
社会の方が変わるには時間もかかるだろうし。

それでもこのタイプの人たちが言う
「女性も平等に能力を発揮できる社会の方が、少子化の日本としては能力を持った人材を取りこぼすことなく活用できて、結果男性にもメリットがある」
という考え方は理解できる。

それにしても個人レベルで考えると、やっぱり男としては、損する、めんどくさいことになる可能性の方が高いんじゃないかなーという思いも拭えない。

さらに「社会構造が変化する」ということに対しての懸念もある。
これまで、ある種の権力を手に入れた人には、その権力が及ぶ範囲において、ある程度は無茶やワガママが許容されてきたと思う。
経費を自由に使えたり、傲慢なふるまいをしたり、他には枕営業なんていうのもわかりやすい例だろう。
その是非の議論は一旦置いて、この辺りの「特権」がモチベーションとなって能力を発揮する人、というのも実は結構な数いたんじゃないかと思うのだ。
フェミニストが望む社会構造の変化というのは、この辺りをクリーンにしてしまおうという意思も含まれるように見える。
事実、metoo運動なんかで過去のふるまいを告発されて表舞台から退場させられた権力者も少なくない。オリンピックの森元会長なんかもそうだろう。
そして権力を手にするのは当然ながら有能な人物であることが多い。
ところが、偉くなったり有名になったりすると、失言や過去の行動を突付かれて、全てを失うことにもなりかねない。
この流れが急激に進むと、有能な人材が突然退場することになり、残された組織が立ちいかなくなる。また、賢い人ほど「目立ったら損」「表に出たら損」という思考になって、要職に就くことを避けるようになる。
そう考えると、優秀な女性が能力を発揮しやすくなったとして、本当に社会全体としてプラスの方が大きいと言い切れるのか。
男の方が女より優秀だ、なんて言い切るつもりはない。ただこの流れによって表舞台から退場させられる、そもそも表に出ることを避けるようになるのというは、有能な女性にだって起こりうると思うのだ。

そういうことも踏まえて、男性フェミニストというものは
「『フェミニズムの浸透による社会全体のメリット』を信じて、それを『構造の変化によって男性である自分個人が被る可能性があるデメリット』と天秤にかけても、自分にとってメリットの方が大きい」
と考えているということなのだろうか?

それとも「自分のメリットより、自分の信じる正義や公正や平等みたいなものに重きを置いている」ということなのか?

だとしたら自己中心的に生きることを全肯定する僕には全く理解できない考え方である。

ところどころ煽っているような文章にも見えてしまうだろうが、今回は本当にそのつもりはなく、ただただ純粋にどういう意図なのかを聞いてみたい。
誰か教えて欲しい。


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