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オランウータンと先住民の言語

※以下の文章は、一部の参考文献は未読なので、不正確な情報が含まれている可能性があります。

オランウータン(Orang-Utan)=森の人?

オランウータンが生息するマレーシア・インドネシアの公用語マレー語/インドネシア語で「オラン(Orang)は人、ウータン(Utan/Hutan)は森なので、オランウータンは『森の人』という意味です」。図鑑やガイドブック、動物園の掲示板で同じの説明ですが、実はオランウータンが生息しているボルネオ島(カリマンタン島)やスマトラ島には多数の先住民が住んでいて、独自の言語を持っています。そして民族毎にオランウータンには異なる名前が与えられていました。
例えば、
Kogiu & Kahui:カダザンドゥスン族など(マレーシア国サバ州)
Kisau:ムルット族(マレーシア北部)
Maias:マレー系&北スマトラ(マレーシア&インドネシア)
Mawas:ビダユ族、ダヤク族、イバン族など(マレーシア国サラワク州)
参考:https://www.earthstoriez.com/myths-and-legends-of-the-orang-utan-indonesia/

一番幅広く、ボルネオ島でのオランウータンを指す単語を網羅してリストアップしているのは、JICA専門家の安間繁樹さんの下記の報告書だと思います。
Yasuma, Shigeki (2000) "Mammals of Sabah , part 2 : habitat and ecology" Japan, International Cooperation Agency (JICA)Malaysia, Sabah Wildlife Department

上記の報告書に掲載されているオランウータンのローカルネーム一覧を抜き出してみました。

各民族による「オランウータン」を指すローカルネーム。
※「Batutot=Orang-utan which cannot climb=(木に)登れないオランウータン;年をとったり、弱ったオランウータンは木に登れなくなる)」


民族の略称とそれぞれの民族が住んでいる場所(出典:Yasuma S, Andau M. 2000. Mammals of Sabah Part-2 Habitat and Ecology. Kota Kibalu, Malaysia: Japan Insternational Cooperation Agency and Sabah Wildlife Department.)


※安間さんはボルネオ島の3ヶ国(マレーシア、ブルネイ、インドネシア)全てにJICA専門家として赴任したことがあり、ボルネオ島の哺乳類全般に関してずば抜けた知見をお持ちです。

ヨーロッパ人が東南アジアにやってきてオランウータンを見た時、「あの動物はなんだ」と現地の人に聞いて、「Orang-Utan」と返されたことからこの名称が広がって、ヨーロッパ人が来るまでOrang-Utanは使われていなかったという、説もありました。が最近はそれを否定する論文も出ています。
一方で、過去の文献からオランウータンの過去の生息域を復元しようという研究も行われています(Meijaard E, Welsh A, Ancrenaz M, Wich S, Nijman V, Marshall AJ. 2010. Declining Orangutan Encounter Rates from Wallace to the Present Suggest the Species Was Once More Abundant. PLoS ONE 5(8):e12042.)

性・年齢によっても違う呼称が使われていた

サラワク州の狩猟採集民プナン族は、オランウータンの性別や年齢(フランジ雄、オトナ雌、コドモなど)によって異なる名前をあてていたそうです。プナン族はオランウータンを狩猟の対象にもしていました(ほとんどの野生動物は狩猟の対象だったようです)。プナン族がオランウータンをきちんと識別し、彼らにとって身近な生き物だった証でしょう。
しかし現在では、プナン族が住んでいる森のほとんどでオランウータンは絶滅してしまったので、彼らのこうした分類と言語は次の世代には受け継がれることはないでしょう。
参考:奥野克巳編著.『人と動物, 駆け引きの民族誌』はる書房, 2011年
サラワクはサバ州に比べると、オランウータンはインドネシアとの国境付近の森にわずかしか生息していない為(おそらく数百頭;報告もほとんどない)、野生のオランウータンを見るのは非常に難しくなっています。

先住民(イバン族)のオランウータンの呼称に着目して、保全活動について論じた論文
Rubis JM. 2020. The orang utan is not an indigenous name: knowing and naming the maias as a decolonizing epistemology. Cultural Studies 34(5):811-830.

先住民の言語をめぐる様相


そもそもこの記事を書くきっかけになったのはTwitterの下記の記事でした。

私がマレーシアでオランウータンの調査をしていた頃、雇っていた調査助手達はボルネオ島(サバ州)の先住民の若者達だったので、彼らは英語はほとんど話せませんでしたが、公用語のマレー語以外の出身民族+αの言語が話せました。例えばドゥスン族の若者はドゥスン語とジャワ語(同じ村にジャワ人の移民が住んでいた)、オラン・スンガイの若者も独自の言語を話していましたし、(フィリピンが近く、フィリピン人の移民も多いので)タガログ語が少しわかるという人もいました。
調査中の暇つぶしに互いに知らない言葉を教えあったり、特定の単語をマレー語でも英語でもない単語に言い換えて、仲間内だけで通じる符牒のように使ったりもしていました。

一方で、町に住んでいるドゥスン族の友人(私より年上)は、子ども達を中華系の学校に通わせていました。わざわざ中華系の学校に通わせているのは、中国語を習得することで将来、いい仕事につけることを期待してのことでした。「子ども達はドゥスン語は理解はできるけど、話せない。村に帰って祖父母とドゥスン語では会話できない」という話も聞きました。こうした話はマレーシアの中流家庭ではよく聞く話で(教育のために中華系の学校に通わせる)、独自の言語が話者達自身の選択によって失われていく一例だと思います。
参考:デジタル時代の先住民言語のゆくえ マレーシア・ボルネオ島・サバ州で探る

先住民の言語とオランウータン

多様な民族がそれぞれの言葉で、オランウータンを呼んでいて、独自の民話も残っています。でもその言語を話す人がいなくなれば、民話は(英語に翻訳された)過去の記録としてしか残らないでしょう。
先住民が住む森からオランウータンがいなくなれば、オランウータンの性や年齢によって異なる呼称をあてていたことは忘れ去られ、もともとはフランジ雄と雌の民話が、ただの雄と雌の話に変わってしまうかもしれません。オランウータンを指す独自の単語も「orang-utan」にとって変わられるかもしれません(すでにそうなりつつあると思います)。
私達が雇った20人近い調査助手達のうち、ダナムバレイに来る前に野生のオランウータンを見たことがある人は1人しかいませんでした(セピロクのリハビリテーションセンターで見た、という人は数人いました)。生まれて初めて野生のオランウータンを見て、感動していた若者もいました。
上の記事にあるように言語を復元する、残す試みを行っても、共に暮らしていた生き物や自然が失われていたら、二度取り戻せない言葉も多いと思います。言語も生き物も、せめて今残っている物はこのまま残したい、残って欲しいという思いを込めて、この記事を書きました。