チェインドエコーズの信仰感を用いたストーリーテリングについて
※ネタバレあります
卒論の息抜きに、先日『Chained Echoes(チェインドエコーズ)』というゲームをやりました。
内容はザ・JRPGって感じで、一ひねりある戦闘や豊富なサブイベントがありながらも無茶苦茶ユーザーフレンドリーなシステムになってて快適に進められて超楽しかったです(でもストーリーは合わんかった)。
個人的に上手いなあと思ったのは、時折挟まれる台詞【残響の導き】というワードです。
この言葉、人を弔ったりとか武勇を祈る時に使う常套句として使われていて、ニュアンスとしては宗教系の文句である【神の御加護があらんことを】【御心のままに】の複合型のような感じなんですよ。
そのせいか【残響の導き】がどういった意味を持っているのかは作中では殆ど触れられず、祈っている姿や軽口のと共に口にする姿を見ることで、その言葉の意味を想像するようになっているんです。
この、説明することなく自然に用語を認識させる手法がが無茶苦茶良くて、くどくない上に想像が書き立てるのが堪りません。複雑なニュアンスも理解させることに成功しているのもいい所。
しかも!この手法にはもう一ついい所があって、ミスリード的な役割としても機能しているんです。
先ほど言ったとおり【残響の導き】という言葉は作中で言及されることはありません。主人公たちが当たり前に使っていて、使うタイミングもなんとなくわかるようになっています。
逆接的に【残響の導き】のちゃんとした意味をプレイヤーは知らされない状態のまま、物語が進行していくわけです。
ゲーム主人公たちは熟知していても、私達には分からない事がある。それを受け入れたままストーリーを進めることになんの違和感を持たない。凄いことだと思いませんか?
説明している訳でもないのに私達はその意味を理解した、と錯覚させることに成功しているんですよ。信頼ならない語り手を使ったミスリードすら使わずに誤認させている訳です
その上作中の誰も言及しないから、それがただのフレーバーなのか伏線なのかも分からないというのもいいですよね。
そして終盤になってプレイヤーにだけ隠されていたもう一つの意味を、さりげなく、かつ劇的に演出した手法は見事だったというほかないでしょう。
こういう信仰とか文化に基づいて、私たちが共有している認識をストリーテリングの補強として使っているのっていいですよね……
言いたいことを言ったので、気に入ったスクショを晒して終わりです。私は卒論に戻ります。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?