バーベンハイマー騒動から見える「地球人としての当事者性の有無」
広島に原爆された日が今年も近づいている。
「バーベンハイマー」に際してアメリカ生まれアメリカ育ちのミュージシャンの井上ジョーさんは「怒りや悲しみしか感じないのもあるけど米ワーナー公式がミームにポジティブなリプライをつけたことが一番つらい。
ジョークにしていいものではない。黒人をネタにした Nワードなら大問題なのにアジア人が大量に死んだことにずっと無関心で、ジョークにしてもいいと考えてる。
ようするにアジア人は舐められている。これはパールハーバーや朝鮮半島で日本人が朝鮮人を虐殺したことを引き合いに出して「じゃあ、文句言う資格ないじゃないかw」と言われるが、それは論点のすり替えだ。
自分自身もアジア人として人種差別を受けてきた思いもあり、とても心が穏やかではない。
そして
なぜ、
被害者側である日本人が
"過ちは繰り返しません"
と石碑に…なぜ
被害者が謝るの?おかしいよ」
というような旨の話をしてきた。
私の話に戻る、私は旧Twitterの支配者が嫌になり全てのアカウントを消した。だからやってるマイクロブログ型SNSは現在は、Blueskyのみです。そこでいつもダジャレや言葉遊びで遊んでいる仲良しのフォロワーさんが
「バービーの件、ようやくネタ元をつかんだが、そういう反対運動とかはここではやらないでくれ。ブルースカイはあくまで楽しい場所にしたい」というような内容の事を言っていた。
たしかに彼の「ブルースカイはTwitterの代替品ではない」というのもわかる。しかし、
彼は日本語話者でツイート内容も日本語ネイティブでしかわからないニュアンスのものがほとんどで日本人としか思えない。
じゃあ彼を仮に日本人だ、断定!
とするととしよう。
彼は世界で唯一の原爆被害国の当事者じゃん。
ナショナリズム的な意味ではなく、縁もゆかりもがっつり関係してるじゃん。なのに反対運動を表明してる人を他人事としてみて「僕はただ自分と家族の半径1kmが平和なら、あとはどんなひどいことでま無関心でいる。それが僕の生き方なので邪魔しないでほしい」という風に(※私がそう解釈した)言えるのは、
…端的に言ってしまえば
有害な利己主義だと思った。
だからブロックした。
私は世界の反対側で起きた悲劇も、当事者としての問題意識を持つべきだと思う。
今これを書いてるiPhoneに使われてコバルトも、コンゴ民主共和国東部のあまりに悲惨なものからできたものであり、私はコンゴ東部の悲惨な状況の当事者なのです。
UNIQLOの服をよくきている。安くて品質がいい。助かっている。でも書いてある「メイドイン ガンボジア」
ガンボジアの工場の人の給料は本当に妥当な額なのだろうか?超過労働させれていないだろうか?
染料で土地の水が汚れていないだろうか?
私はガンボジアの当事者でもある。
でも…
でもスマートフォンなし、UNIQLOなしのヒッピーライフは、私にはできない。だからこそ考えてるのをやめてはいけないのだと思う。
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