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20年来の因縁

気が付いたら両親が結婚した歳を過ぎていた。

というより、母親が私を産んだ歳を過ぎていた事がここ数年ショックを受けていた。
その頃の私は心のどこかで「普通に学校を卒業して、就職して、好きな人と結婚して、出産する」という当たり前のようで本当はハードルがとても高くそうそう上手く行かないことが普通であると信じて疑わなかった。

今回は私と両親について少しお話したいと思う。

私にとって両親は………少なくとも妹が生まれる以前の親(特に父親)は恐怖以外の何物でもなかった
父は文字通り、昭和の男だった。
頑固で、酒飲みで、仕事しか頭にない。その癖注文が多い。金にうるさい。この男が右と言えば左でも右と言わざるを得ない。左だと言おうものなら殴られた。根性焼きも入れられた。
母はそんな父をのらりくらりと躱しながら適当に生きていた。長子の私を盾にして。
大人しくて手のかからない子、とよく言われたが 実際は親の顔色を伺って大人しくしていただけだ。
うっかり機嫌を損ねたらそれだけで恐ろしいことになる。家を出るまで20数年、私は家に縛られていた。
後に開放してくれた元彼にも縛られることにもなるが、それはまた別の話。

以前から話しているが、今から丁度7年くらい前だろうか。無理をして体を壊した時期がある。
正直言ってこの事が私を双極性障害にした一番の原因なのだけど、あまり公で話すような事では無いし、あまり言いたくないので申しわけないが割愛させて頂く。

正直に言うと、その辺の記憶がひどくあやふやなのだ。
ぼんやりと覚えてはいるが、上手く言葉に出来ない。記憶はあるが、詳細な記憶がないのだ。


とにかく人生で一番無気力になっていた。
毎日死にたかった。
けど死ぬ勇気はなくて、死ねないから生きてるような感じだった。自殺を実行する気すら起きなかった。
毎日塞ぎ込んでいた私に母親は言った。

「早く仕事見つけて働いてくれない?病気じゃないんだから」

確かに、私はまだ病気じゃなかった。その頃は。
気付いてなかっただけかもしれない。

その時、確かに心に皹が入ったことだけは覚えている。

今まで親にマトモに褒められた記憶なんかない。小学生の時に何かの投稿コーナーで私の絵が小さく載った時わざわざ切り抜いて取っておいたくらいか。でももうそんなの20年以上も前だし。高校生になって書道で入選したらそんなの誰でも取れるから数学どうにかしろとか言われた記憶しかない。

些細なことで私を傷付けていた親が、年老いた今は私の機嫌を取ろうとしているのを見て、私はまるで親のご機嫌取りをしていた昔の私を見てるような錯覚に陥った。酷く滑稽だった。

お前らにされたことは絶対子供にはしないし一生忘れないでいてやるからな

と、決意を固くした。
もし私が子供を持って親になれるのなら、その子の好きな物を否定する親にはなりたくない。

帰り間際、父親が言った。
「正月帰ってくるなら言えよ、おせちとか用意してあるからな」

※現時点で正月の予定は未定である。

トゲが抜けて丸くなったんだか、私には分からない。

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