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「私はHSP」じゃなくて私は私と言えるようになりたい

HSPについて解説している動画を見た。
それはよく見かけるようなHSPの人を応援する系の類ではなく、HSPの核心に迫るようなかなり辛辣な内容で、HSPの気質があると自覚していた私は正直少しショックを受けた。


“短所の裏に長所があるなんてそんな都合のいい話はない。短所は短所。劣性は劣性なのだ” と。


動画の中でも特に衝撃を受けた部分だ。

一般的に、HSPは繊細で刺激を受けやすく生きづらいがその能力は活かし次第であり、環境さえ整えれば様々な可能性を秘めていると言われたりする。

私自身、みんなと同じようにできなくてなんで自分はこうなんだろう、生きづらいな、と思っていたときにHSPという名前を知ってしかもすごい能力だ!みたいに謳われてるのを見かけて、ほんとに救われた気持ちだった。

でも苦しんでいるときだからこそ、そのような発信をしている人に心を掴まれてしまい、言わば宗教的に信じ込んでしまうとそれはもはやHSPビジネスの罠に掛かったも同然なのだ。

見終わった後、少しのショックはあったのだがそれと同時にハッと目が覚めた気持ちでもあった。
そういう悪いことをする人もいるということをなんで忘れてたんだろう。私はHSPだからいつかすごいことを成し遂げるぞとかぽわぽわと空想してたのは現実逃避に過ぎなかったのかもしれない、と。

この人の話は分かりやすくて、純粋に「なるほど」と思う部分も多かった。でもだからと言ってこの人を崇拝し始めるとそれこそ負のループになってしまう。この人の考えも、たくさんある考え方のうちのひとつだよね、と捉えておこうと思った。

厳しい内容だけど実は寄り添ってくれてる感じだし信頼できそうだから、次はこの人に寄生しよ……とはならなかった自分を褒めたいし、今までより成長している気がして嬉しくもあった。


HSPビジネスの罠に自分もハマりかけていたんだなと思うと恐ろしい。何も実害は受けてないけど、HSPの特徴と自分とを比べて、うん、やっぱり自分はHSPに違いない!と思っていたし、もっとHSPについて知りたいとも思っていた。
それだけでなく、むしろHSPの特徴に寄せようとしていることすらあったかもしれない。

どこまでいっても私は私だし、私のことはどの説明書にも載ってない。ましてや他人から決定づけられるわけがない。
だから苦しみながらもがきながら、自分はこういうところがあるからこういう風に生きるといいかも、ってゼロから創り上げていくしかないんだよなーと腑に落ちた感覚。

自分で考えることの大切さと難しさを最近いろんなジャンルで見聞きする機会があって、なんとなく良い流れがきている感じがしている。

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