傷口に酒を塗れ

緊急連絡先を書いた紙を、「親は離れて暮らしているので直ぐには来られません」と添えて玄関先に置いて過ごしたことがある人は、多くないと思う。

今年私はとてつもない嵐の真っ只中にいた。
大好きな人が立つライブのステージを見ても心が揺さぶられなかった。
遂にはそのライブにさえ行けなくなった。

新卒で就職に失敗し、就活戦線に疲弊して不眠症になっていた私は直ぐに自律神経失調症となった。
それは年々悪化していき、遂には双極性障害と診断を受けた。
職歴はトータル数ヶ月働いただけしか無かった。
持病の下肢リンパ浮腫を抱え、そしてそれは保険適用外で10割負担の治療を続け完治もしない指定難病外の難病で、制度の谷間に落ち込み苦しみ足掻いて見出した生き甲斐が、取り敢えず生きようと思えるものがライブだった。
その、1週間先を生きよう、1ヶ月先のライブまで生きよう、が通用しなくなった。
ライブ友達からも心配のLINEが入る。
ぼーっとした頭では何も返信が書けなかった。

唯一、好きな人から「大丈夫ですか」「何かありましたか」と来た時だけ、助けを求めることが出来た。
ああ、私はこのままでは死んでしまう。
そう思って、実家に電話をかけ、泣きながら夜が怖いと訴えた。
通院していたメンタルクリニックに、取り敢えず実家に帰りますと告げ、その翌日、帰省した。
6月の終わりだった。

7月のライブのチケットも持っていた。
予約していたライブも沢山あった。
財布も携帯も鞄に押し込んでベッドから起き上がれない日々。
80キロからの21キロダイエットをしていた過去もあり、食べたいものがない、食べたくない、母の手料理だから食べている、それだけだった。

徐々にベッドから出て、化粧も出来るようになり、スーパーへは母と出かけられるようになり、障害者手帳の申請も通り、名実ともにメンヘラとなった私は将来がひたすら不安だ。

下肢リンパ浮腫はリンパ管細静脈吻合手術を受けた。効果が分かるのは半年から一年後だ。
効果が出なければリンパ管移植手術を受けるようになるかもしれない。
それまでにも経過観察で月一、車で1時間40分かけて通院しなくてはいけない。
置き去りにしたままの一人暮らしの部屋は、家賃だけ振り込んで家主は居ない。
それでも月一、メンタルクリニックに通うために新幹線に乗って母と共に通院し、一人暮らしの部屋に寄って郵便受けの整理をする。
いつまで。
いつまでこの生活が出来るのだろうか。
母はあと3ヶ月で退職する。
4ヶ月後には還暦だ。
父は既に定年後だ。

弟は試験に合格して弁護士として働けるようになった。
兄は東京で挫折も味わいつつ1人で生計を立てている。
私だけ。私だけが欠陥品である。

私はもう、この実家に暮らした方が良いのだろうか。
あちらに置き去りにしている友達も趣味も恋愛も捨てて、母と共に安心出来るこの家で甘えて暮らして良いのだろうか。

まだ決められない。
貴女が生きていればなんて言うだろう。
雨宮まみさん、あなたの背中を見ていたのに。
寂しい。

#エッセイ

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