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ジョージ・A・ロメロのゾンビ映画から読みとく『ゾンビ共存型社会』

名匠 ジョージAロメロ はアメリカの『ゾンビ』映画監督
1940〜2017年 享年77歳
高校生の頃にヒッチコック監督の『北北西に進路を取れ』にスタッフとして参加。映画製作の基礎を学ぶ。

カーネギーメロン大学卒業後、1963年、映像制作会社を設立し、CMや産業用フィルムを手掛けるが劇場用映画の夢が捨てきれず、週末に映画製作を決行。

リチャード・マシスンの『I Am Legend』に影響を受け、疫病による黙示録により、吸血鬼的な生物へ変化した人間が、『リビングデッド』という概念で、死者が蘇るという世界観を作った。

それが、
1968年の『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』だ。
低予算、自主制作によるモノクロ16mmフィルム作品だったが…
「死者が蘇って生者の肉を喰らう」「ゾンビに噛まれた者も、またゾンビになる」「脳を破壊されるまで活動を停止しない」という“モダン・ゾンビ”が初めて定義された作品だ。

米国では著作権を消失したパブリックドメインと解釈されたことも普及に貢献したのかもしれない。

1990年、『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド/死霊創世紀』ロメロ信奉者でもある トム・サヴィーニ によってリメイクされる。「ゾンビより生者の方が醜く恐ろしい」手法が採用される。現在のゾンビデザインはトム・サヴィーニによる特殊メイクのデザインが踏襲されている。

ロメロのリビングデッド作品

ナイト・オブ・ザ・リビングデッド
ゾンビ
死霊のえじき
ランド・オブ・ザ・デッド
ダイアリー・オブ・ザ・デッド
サバイバル・オブ・ザ・デッド

高齢者虐待問題を描く…『アミューズメントパーク』がある。
1973年に手掛けた幻の未発表映画

ゾンビ映画の一覧

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BE%E3%83%B3%E3%83%93%E6%98%A0%E7%94%BB%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7


ゾンビ(Dawn of the Dead)
(1978年)
やはりロメロの社会風刺は、大量生産大量消費、物質型文明のスーパーマーケットに籠城することにより、生きていける人間こそが、逆にリビングデッドなのでは?というメッセージを感じ取ることができる。


ゴブリンのバンドサウンドによるサウンドトラックも秀逸




死霊のえじき(Day of the Dead) (1985年)
人間よりも人間らしいゾンビ 『バブ』が登場する。
この盟友『バブ』の描き方の路線が、ロメロゾンビ映画の二作目で登場するとは…。



ランド・オブ・ザ・デッド (2005年)
貧富の格差をタワーマンションを舞台にして描く。
共和党の世相を反映した貧富の差によるゾンビ社会への対応である。
富裕層はは完璧なセキュリティの中でソンビとは無縁の生活を手にできていたはずだったが…というセーフティーゾーンの危うさを描く。



ダイアリー・オブ・ザ・デッド (2008年)
ソーシャル時代の個人メディアを通して、記録することの意味とは?
個人ログを通じて、ゾンビの世界を当事者として描く…。体験でしか情報が得られない。POV視点による当事者でありながら、客観的に撮影しようというニュース視点の間が見事だ。パブリッシュする個人の視点とゾンビワールドの世界観。



サバイバル・オブ・ザ・デッド (2009年)
ゾンビの存続方法はありえるのか?対立する人間の論理構造を描く
「ゾンビを噛んだ生者もゾンビになる」という新たな視点も。噛まれるよりは、噛んだほうが楽という視点はありだ。


ジョージAロメロは、常に、「ゾンビ」というメタファーで社会の歪みを表現してきた。人間の「煩悩」や「欲求」などだ。
ゾンビ側には感情がない。ただ、ヒトを食いたいだけだ。常にシンプルだ。
一方、人間側は、食われない為にいろんな行動を考える。

仲間とは?別のグループとの希少な食料や居場所の争いなど。ゾンビよりもむしろ人類同志との争いに結局は翻弄してしまう。

これはどのゾンビ映画にも描かれる人類の馬鹿さっぷりだ。よほどゾンビの世界のほうが争いが少ない。



限られた戦力で、限られた資源で、限られた人数で、いかにゾンビから逃げるか、ゾンビを駆逐するか、ゾンビと共有するか?ゾンビと融合するのか?
ゾンビ映画を見ることによって、終わりのない戦争の論理構造が見えてくる。
むしろ、現在、一番重要なのは、ゾンビと共存する社会なのだ。
『ゾンビ共存型社会』が到来している。
『ゾンビ』というのは、恐怖や伝染病、コロナ禍、ロシア危機などの、プログラミング言語の変数を格納するところの代入演算子である。

多様性に満ちたLGBTから、人種、言語、宗教、国境、SDGs環境、ESG投資に至るまでの様々なものとの共存が求められる社会だ。

自分以外の他者への理解と愛が必要な世の中だ。だからこそ、自分自身の価値を高め、貢献できる素養が求められる。人は誰でも、油断すれば、ゾンビに堕ちてしまう。一度、ゾンビ化するともう、人間には戻れない…。死んでも満たされない欲求に囚われる囚人である。

金に追われるゾンビはたくさんいる…。必要以上に金を持つと、金のゾンビになっているのである。そこそこの金で満足できるのが、賢人なのだ。
使い切れない金を持つ必要はない。テクノロジーが進化しても、人間が豊かにならない原因のひとつだ。

そう、テクノロジーが進化して、人が楽になれば、料金を下げずに人が休むのだ。可処分時間を増やすのだ。テクノロジーは時間のゾンビだ。
進化してだけさらに時間を詰めて効率を高めて、高次回転な社会へと変える。便利さと引き換えに、自然の社会とは別の世界へ突入している。

金×テクノロジー=データの価値のゾンビにとらわれているのが現在社会だ。

2002年の「バイオハザード」は科学兵器から派生したゾンビが描かれた。

2002年の「28日後」28 Days Later

ダニー・ボイルは、人間のオスの残虐性を描いた。『東京島』の状況だ。


同時に、『ウォーカー』を爆速で走らせてしまった…。これはゾンビ映画の倫理に反する(笑)

2004年の「ショーン・オブ・ザ・デッド」によって、ゾンビがコメディとなった。



2010年のフランク・ダラボン製作の『ウォーキング・デッド』は、『TWD』の名称がつけられるほどの浸透ぶり、シーズン1は最高だった。


ゾンビ映画というよりも、チームの人間関係の描写が見事。
カールを取り囲む仲間の変遷がユニークだ。
シーズン2での、ゾンビを飼うミショーンに、シーズン3のガバナー提督あたりで…脱落…。これはもう、ゾンビは単にBGMでしかなくなってしまっている。

2013年の『ワールド・ウォーZ』 は全世界収入が5億ドルを突破。ブラッド・ピットの主演作最大のヒットとなった。

2013年、『ウォーム・ボディーズ』はゾンビ版のロミオとジュリエットだ。




…とにも、かくにも、ボクは毎日、シャワーを浴びる時には、ゾンビ映画のセーフティーゾーンでの温かいシャワーを浴びる時のあの最高の幸せの瞬間を感じている。そう、ゾンビ映画で、温かいシャワーや温かい食事にありつけるそれだけで最高なのだ。
ボクたちは最高の夜の中で生きている…。
しかし、どこかのバカが戦争をはじめた瞬間、ゾンビ映画と同様の世界がやってくる。争う前に、ゾンビ映画を見て、シャワーを浴びろと思う。

このコラムはこちらのコラムから10年ぶりにリメイクした。


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