現実と空想のはざまで

シャワーを浴びながら湯船を張ろうと思いついたのはふとした気まぐれだった。
この行き場のない気怠さを解消してくれるかもしれない。
何かを変えてくれそうな気がしたのだ。
お湯がたまる間、裸で浴室を掃除する。
洗剤を壁にかけてスポンジでみがく。現実と縫い付けるように丁寧に。
そうしながらわたしの身体は少し自由になったような気がしてきた。
掃除をすることは自分の痕跡をなぞり、こうしてこの世界に存在することを確かめるような行為に感じる。
一人暮らしを始めてからふとした瞬間に掃除をしたくなる。
目まぐるしく変わってコントロールできないことが溢れすぎているわたしにとって、掃除をすることは安心できる場所をつくる手段なのかもしれない。

頃合いよくお湯がたまる。
洗剤を流し新居にこしてきてから初めてのお風呂に入った。
思ったよりも狭い浴槽。自分の身体が近くに見える。
まだらな肌 のびきった脚の毛 そしてぽっこりと出たお腹。
これが現実。

だんだんと深く息を吸いたくなって、
そこでわたしはまた呼吸が浅くなっていたことに気がついた。

鼻から吸って口で吐いて。

繰り返すうちに身体がほぐれて根ざしていくように感じた。

思考の中でなら自由にどこへだっていける。
反対に身体は愚鈍だ。この世界のスピードについていけない。

ついていくには大切な...そう大切な何かを削らなければならない気がしている。
それはしたくなかった。

いつも勝手に空想と現実のギャップに落胆している。

思考を、この見えないけれど確かに存在しているものを現実に縫い付けたくて、
わたしは湯船から上がり、そうして服を着て髪も乾かさず、ペンを取って書き連ねた。

ーー忘備録

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