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今は、自分のノートパソコンの整理をしている。大学時代から使っているので通算7年。はじめての自分のパソコンで、ルールを定めずに好き勝手使っていたから文書が散らばりっぱなしだ。
過去の文書の中には、卒業論文に向けて調べものをした資料や感情をそのまま綴った書きなぐりの文章もある。
そのうちのひとつを、以下に持ってこようと思う。
鍵を握るのは「改善」だ。
誰かに教えてもらう、指摘してもらうのは手っ取り早い改善の方法だ。
自分で気付かなかった点を知ることができる。
ただし、学校という場所を卒業して、いわゆる「先生」のいない社会に飛び出した私たちは、なんでも教えてもらえるわけでもない。
正しい正解がない、という問題も別には存在しているが。
自分は会社に入ったばっかりで、そもそも社会に出たばっかりで、至らないことが多くて、いろいろ言われるたびにちょっとへこむこともある。でも、言ってもらえることほど、優しいことは無いと思う。変だと思っていても言わない、違うなと気付いても言わない、日本人だから、ではないと思うけど、放っておく人が多いように感じた。触らぬ神に祟りなし、的なことなのかもしれない。
また、ちょっと違くない、と思っていても、自分に確信が持てなかったり、自分より相手の方が技術的に上だから言えない、ということもある。言う前にいう気が失せる。
なぜできるんですか?の質問はたぶんナンセンスだ。
できるひとにとってはなぜできないんですか?と思うのも当然である。
自分はなぜできないのかを考えたり分析するのが先だ。
そのうえで、その「できる」相手がどのような順序で、そんなスピードで、何を使って、何にこだわって作業しているのか、魅せてもらうことが一番早かったりもする。
なんで教えてくれないの、そのセリフはもう聞き飽きた。
私は教えるとなったら徹底的に教えてしまうのが癖だ。
だから親切心の気持ちで小学生にもわかるように教えたのに、
挑発的だと言われた。そう感じられていたなんてはじめてしった。
別に馬鹿にしたつもりはなくて本当に分かるようにいっただけなのに。
言葉の感じ方って難しい。
まだまだ未知のことばかりだった。
大抵の文章は、書いた本人ゆえにいつどこでどんなことがあってこれを書いたのか思い出せるのだが、この文章からは全く思い出せない。思い出せないということは、私が再ロードしないように勝手にセーブをしているか、別のルートで解決しているかのどちらかだ。
いずれにせよ、教えるという壁は人生生きるうえでほぼ毎日出くわすことだと思う。他人に左右されながらも、柔軟に揺れながら対応できる人でありたい。
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