小さな勇者の旅立ち

 ぼくはゲームが好きだ。ぼくがもっと小さいときに初めて遊んだドラクエは夢中になってやった。仲間と出会って、世界を旅して、魔王を倒した。

 あの日、ぼくは勇者になったんだ。


「なんでだめなんだよ!」
 ぼくは朝からお母さんに問い詰めた。
「仕方ないでしょう。今日は急に仕事が入っちゃったのよ」
「だって約束したじゃん! 今日買いに行くって!」

 ドラゴンクエストVの発売日。ぼくはこの日をずっと待っていた。ドラクエは学校で大流行のゲームで、IVは何日も寝不足になりながらプレイした。その新作が今日できる。
 さっきも渋谷という街で「予約しました!」「今日買います」ってみんながアナウンサーに話してる様子がテレビに映ってた。それを見たら余計にやりたくてたまらなくなった。なのに……。

「ワンダーグーまで車で送ってよ! それから仕事に行けばいいじゃん!」
「あんたあそこまでどんだけかかると思ってるのよ。車で三十分よ」
「だーかーらー、一緒に行ってよー」
「それじゃ仕事が間に合わないじゃない!」

 ぼくが一人で行けなかった理由。それはゲームを売っているお店が車で三十分かかることだった。
 ぼくの住んでいるところは静岡県の海と山に囲まれた田舎町。歩いて数分で海に行けるし、公園は広くてブランコもすべり台も遊び放題。ただ物を買うには車を使わないといけなくて少し不便だ。

 しばらくその場に立ち尽くしていると、テレビのほうから聞き馴染みのある曲が聞こえてきた。ドラクエVのCMだ。お母さんの勢いに押された心が徐々に元に戻っていく。

「今日遊びたいんだもん」
 ぼくは俯きながらニンテンドーDSを開いたり閉じたりした。駄々をこねる。わがままだと思うけど、今日だけは譲れない。
「――わかったわ」
しばらくするとお母さんが渋々とした顔で口を開いた。
「バスで行きなさい」
「バス?」
「そうよ。あんたを一人で行かせるのは心配だけど……。夏休みだからこども料金でバスに乗れるわ。それで行きなさい」
 バス。ぼくは一人で乗ったことがなかった。友達んちは自転車で行くし、遠くに出かけるときはいつも車だったから。でも、そうか、バスだったら一人で行ける。なんで今まで気づかなかったんだろう!
「――わかった! ぼく一人で行く!」
 そうと決まれば急いで出発だ。必要なものはお金とリュックと帽子! 家中をぐるぐると探し回っていると、冒険前の勇者みたいで自然と口元がゆるんだ。

「いってきます!」
 ぼくはお気に入りのスニーカーを履き終わるのと同時に叫ぶ。
 玄関のドアを開けると雲一つない青空が目の前に広がっていた。

 今日はぼくが勇者になる日だ。

ありがとうございます!