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#2「夢を追う人」


「―――これにてお暇させていただきます。本年もどうぞ、よろしくお願いいたします」

 年明けて二日目。
 それは弊社の取締役専務である伯父さまに専任秘書として随伴し、ご挨拶に行くべき方々のお宅をいくつか回って新年のご挨拶を申し上げ終えた時だった。

「おい、アイツの家にやってくれ」

 伯父さまときたら、お見送りの方が頭を下げているのをいいことに車に乗り込むやいなや干支柄のネクタイを乱暴に緩め「アイツ=社長」のご自宅に向かうよう運転手さんに言いつけた。

(まーた「伯父さまの病気」がはじまった……)

 普段は精力的かつ従順に予定をこなす「デキる」取締役専務なのに、ふとした瞬間に「周りを振り回す病」が発症する。
 「そんなワイルドさが魅力だ」と持ち上げる人もいるが、そういう人は実際に振り回されてみればいい。嵐の外と中は大違いなんだから。
 伯父さまの気まぐれに慣れっ子なベテラン運転手さんは、車を緩やかに発進させながらバックミラー越しに私の動向を伺っている。

「だめですよ。この後は伯母さまと“銀ブラ”のお約束でしょ?」

 今日の公務が終わったら愛妻である奥様のお好きなブランドの「初売り」を楽しむ予定で、伯母さまだって多忙な旦那様とのデートをそれは楽しみにしていた。
 スマートフォンでスケジュールを確認しながら伯父さまをたしなめると、伯父さまは自分のスマートフォンの画面をこれ見よがしに見せる。

『社長さんによろしくね。アタシはお先に一、二軒回ってます。追いついてくれないと破産するわよ♪』

 画面には伯母さまから送られた可愛らしいキスマークのスタンプ付脅迫メッセージが表示されていた。どうやら伯父さまは先手を打って伯母さまの懐柔に成功したらしい。

「だとさ」
「もうっ」
 
 そうと決まれば、専任秘書としてはさっさと用事を済ませる他に手はない。
 私は自慢げに笑って見せる伯父さまに不満を隠さず、運転手さんに社長のご自宅に向かうようにお願いした。

■◇■

 都内にある社長のご自宅は静かな住宅街の一角にあって、インターフォンを鳴らすと晴れ着姿も美しい秘書室長が苦笑いで出迎えてくれた。

「あけましておめでとうございます。予想よりもお早いお越しですね」
「おう、今年も美人だな。アイツは?」
「こちらです、どうぞ」

 案内されたサンルームには、新年ののどかな日差しが降りそそいでいる。
 都内とは思えないほど広い空と木立が見渡せる窓辺にソファとテーブルが出され、オードブルとスコッチが並べられている。
 ソファに腰かけた途端に新年のご挨拶をしたお歴々の愚痴をがなり立て、カットの美しい江戸切子のグラスを乾す伯父さまに、社長が熱心に受け答えながらスコッチを注いで会話を重ねている。
 まるで学生同士のような二人のその気安い様子を見ていると、伯父さまから聞いた弊社の創立時の話が思い出された。
 社長には実現したい夢があって、それを叶えるためには起業しなければならなかった。
 そこで当時同僚でライバルだった伯父さまに「一緒に会社をはじめてほしい」と頭を下げたそうだ。
 『アイツは何をするにも青臭さすぎるんだ。世の中の海千山千の化け物たちを向こうに回すにゃ、俺ぐらい腹芸が出来る奴がいなけりゃならん』
 当時を思い返す時、伯父さまは少し面映ゆそうにしている。
 私は社長の選択眼は素晴らしいと思う。
 身内のひいき目を抜きにしても伯父さまほどの実務家はそうは居ない。
 私はサンルームの次の間で、共にティーテーブルを囲む秘書室長をそっと横目で伺った。
 年齢を聞いてはいけない決まりになっているが―――室長も創立メンバーの一人で、社長や伯父さまと年代も変わらないはずだというのに若々しく、横顔も皺ひとつなく、子供じみた掛け合いを繰り返す伯父さまと社長をニコニコと眺めている。
 会話を面白がっているように見えるが、手元には次のお酒や補充用のオードブル、布巾やチェイサー用の水まで準備万端に整えられ、いつでも動けるように手配されている。
 「アシストする者」としての十分なまでの心配りに舌を巻きつつ、伯父さまに聞いた昔話が脳裏をよぎる。
 『とびきり美人で、名前を聞いたら飛び上がる様な大企業や名家や王家が入れ代わり立ち代わりスカウトに来るような超優秀な秘書が居た。誰にもYESと言わないその秘書を、社長は見事に射落としてみせたのだ』と。

「室長はどうして社長の秘書になられたんですか?」

 私の不意の問いかけに、室長はキョトンとして振り向いた。

「どうして……って」

 小首をかしげ、何かを思い出すように視線が落ち、甘く、苦く、うっとりと微笑んで。

「私はね、社長がどこまでも―――」

 そこまで言ってふっと花咲くように笑みこぼれた室長は、また顔を上げて社長と伯父さまの方に向き直った。

「ないしょ、よ。思い出は人に話したら減るの。だから、教えてあげない」

 その横顔は凛として美しく、この先どんなにねだっても一言も漏らさない決意に満ち溢れていた。