#19 14time difference.
目を開ければ窓外の西は紺青、東は灰色で、まだ白々ともしない冬の空が広がっている。
薄暗い寝室で目覚めた理由は、枕元にいつも置いてあるスマートフォンのバックライトが点灯したからだ。
瞼をこすりながら通知を確認すると『今いい?』と、メッセージが一通来ていた。
メッセージアプリの「invite」ボタンをタップしてスピーカーに切り替えると『そっちは今何時? おじさん』と、可愛い姪っ子の声が聞こえてきた。
「何時だと思う?」
『四時』
「Bingo!」
定型文になっている言い合いをひとしきり終えると、スピーカーの向こうの姪は一言も発することなく静かな呼吸だけ聞かせてくる。
「『どうした?』って、言ってほしいのか?」
勝気な彼女の扱いは昔からひと苦労だった。
ほんの三歳の頃からこちらの態度がお気に召さなければ一、二か月口をきいてくれないなんてザラだった。
夜とは言えない、朝とも言えない時間が過ぎてゆくのを夜気に感じていたら、今から十四時間昔の、遠くボストンに居る彼女の呼吸が聞こえ鋭く息が吸われ。
『「お前の研究は何ドルになるんだ?」って「俺は企業スポンサーがついてラボを持たせてもらえることになった。お前は一体いつになったら“Student”から“Doctor”になるんだ?」って』
スピーカーの向こうから捲し立てるように言い募り、荒い息が吸っては吐かれている。
通信機器の向こう、十四時間離れた異国の地で私の姪は憤っている。
(頑張ってるんだな。いいぞ、その調子だ)
彼女に相応しいのはそんな薄っぺらい承認なんかじゃない。
吸っては吐き、吸っては吐く。
怒りのまじるそれを耳に聞きながら、私は一言口ずさむ。
「―――お前が金の為に学んでいたとは、驚きだな」
『……っ』
「お前にいきがって喜んでるようなレベルの低い奴には『お前と違って値段のつかない学問をしてんだ』って言ってやれよ」
スピーカーからごそごそと音がする。
「人に値段をつけられて喜んでるようじゃまだまだ、だ」
知識は果てがなく真理は誰にもわからない。
だから人は学び、知ろうとする。
金字塔のてっぺんに立つ賢者は金になるから学んだわけじゃない。
金にならなくても学ぶものは学ぶ。
そして、私の姪はその「知る事」「わかる事」に夢中になれる「学生」だ。
(「学びに生きる」とはよく言ったもんだな)
寝起きのかさついた喉で言い切り一つ寝返りを打った私の耳に、あきれたような姪の声が聞こえる。
『……社長さんがそんなこと言っていいわけ?』
資本主義のルールの中で勝負師としてカードを切る社長としては、まぁ……よろしいとは言い切れないが。
「今は『お前のおじさん』だから、いいんだよ」
含み笑いをしながら言うとスピーカーの向こうからいつもの調子で。
『ばかじゃないの……おやすみ、おじさん』
そう言い捨てて通話が切れる。
ライトがOFFになった通信装置からは可愛い姪っ子の歯ぎしりはもう聞こえない。
その黒い画面をなぜて十四時間昔の彼女に心の中でエールを送ると、眠気に負けた私はスマートフォンを放り捨てた。