【絵本 モチモチの木】
にんげん、やさしささえあれば、やらなきゃならねえことは、きっと やるもんだ。それをみて たにんが びっくらするわけよ。
【並べて楽しい絵本の世界】
語り聞かせるように、読んであげてほしい おはなしです。
作者の斎藤隆介さんは、巻末で画家の滝平二郎さんとのやり取りを 紹介してくれています。滝平二郎さんは、このおはなしには、自分が絵を描きたいと、そして作者も他の画家は考えられず、当時大忙しの画家をずっと待っていたということです。
滝平二郎さんは当時、毎週の新聞の 日曜版トップを飾る 十一段通しの切り絵を描いていらっしゃいました。私もその絵を見て育った世代です。
日常の中で いつでも触れることのできる絵だったのです。
日曜日には、当たり前に新聞が届き、父のかたわらにはいつもこの切り絵が置いてありました。
ちいさな人たちに読み聞かせをするときは、大人はどうしても文章に意識が集中してしまうので、ゆっくりと絵を堪能できるのは、ずっとのちになってからなのですね。
「モチモチの木」を長い時を経て、今、はじめてじっくりとながめています。
まったく豆太ほど おくびょうな やつは ない。
もう五つにもなったんだから、よなかに ひとりで せっちんぐらいに いけたっていい。(せっちん=雪隠=トイレ)
豆太のじいさんは、よわむしの孫にちいさな声で呼ばれるたびに、夜中の庭にでて、おしっこをさせてくれるのです。庭にはおおきなトチノキがあり、豆太はそれをモチモチの木と呼んでいます。
秋になると、ピカピカひかった実を、いっぱい ふりおろしてくれる。
その実を じさまが 木ウスでついて、石ウスでひいて、こなにする。こなにしたやつを もちに こねあげて、ふかして たべると、ホッペタが おっこちるほど うまいんだ
そんなモチモチの木ですが、夜になると豆太はその木の姿が恐ろしくて しかたがない。じさまがいてくれなくては、おねしょしてしまうのです。
じさまが いいました
シモ月二十日のウシミツにゃあァ、モチモチの木に ひがともる。
おきてて 見てみろ、そりゃァ キレイだ。
おらも、こどものころに 見たことがある。
しんだ おまえのおとゥも みたそうだ。
山のかみさまの おまつりなんだ、それは、ひとりの こどもしか みることは できねぇ、それも ゆうきのある こどもだけだ
豆太にとってはトンデモない。
そんな勇気ない。考えただけでも、オシッコをもらしちまいそうだ。。。
でも、ハプニングが起きます!
夜中にとつぜん、じさまが はらがイテエ!とうなって ころげています!
豆太は こいぬみたいに からだをまるめて、おもて戸を からだで フッとばして はしりだした。
やさしい じさま。。。。
おいしゃさまをよばなくっちゃ!
泣きながら走る豆太の姿に、ちょっと目頭が熱くなりました。
おいしゃさまは、薬箱と豆太をねんねこ半纏(はんてん)でおんぶして、まよなかの峠道を登ってくれます。そのみちで、豆太は見ました。
モチモチの木に ひがついている!
写真ではうまく伝えられません。絵本を見ていただきたいです。
見開きいっぱいの美しいモチモチの木。
山のかみさまの まつりを見た豆太。
次の日からはまた夜中に 元気になったじさまを起こしてオシッコに・・・
でも、じさまは言います。
じぶんで じぶんを よわむしだなんて おもうな。
よわむしは 治るものではないと思うのです。
克服したと思っていても、ふとした時にムクムクと出てくる。
大人だって弱虫です。だけど、やらなきゃいけないときがあれば、がんばっちゃうだけです。
次女がちいさな頃。自転車のうしろに乗せて走っていると、「お月様がついてくる!」と怖がった時期がありました。
母はその子がかわいくて「ついてくるよ~」とあおったりしたことを思いだしました。ごめんね。おもしろがることじゃなかったね。
私もおばあちゃんと呼ばれる歳になった。
じさまのような、やさしいおばあちゃんになるね。
読んでいただきありがとうございます。
あなたの絵本の世界も豊かなものになりますように。