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世界の(未)公開映画

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東欧映画、ロシア映画以外の未公開映画についてまとめています。最近は公開された作品も掲載しています。全ての記事をどこかに帰属させてあげたいという親心です。見逃してください。
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2020年2月の記事一覧

ニナ・メンケス『クイーン・オブ・ダイヤモンド』アンチ・ラスベガス映画、それは馬のいない西部劇

圧倒的大傑作。あまりにも素晴らしい。いきなり回転するダイヤのクイーン(トランプのカード)から始まる本作品は、70年代の欧州でシャンタル・アケルマンが『ジャンヌ・ディエルマン』によってなし得たことを、90年代になってアメリカでメンケスが完成させた、とまで言われるニナ・メンケスの代表作である。1983年の中編『The Great Sadness of Zohara』以降の四部作の第三編に相当する本作品は、これまでと同様にメンケス自身が脚本や撮影監督、プロデューサーを務めている。そ

ケリー・ライカート『ミークス・カットオフ』マニフェスト・デスティニーと抑圧の歴史

『Old Joy』に始まったオレゴン四部作の三作目。というのも脚本ジョナサン・レイモンドを含め、製作に携わったトッド・ヘインズ、ニール・コップ、ロケハン担当のロジャー・フェアーズなど多くのクルーメンバーがオレゴンに暮らしており、特に感銘を受けているというレイモンドの存在は舞台をオレゴンにし続ける大きな理由となったようだ。前作『ウェンディ&ルーシー』も"撮影地を探してアメリカ中を探し回ったが、結局彼が家の窓から見ながら書いた地元の駐車場になった"としている。『Old Joy』で

ケリー・ライカート『オールド・ジョイ』横溢する"緑"が消えるとき

12年の年月を経て、ケリー・ライカートが復活したのは2006年のことだった。その間に起こったことと言えば、アメリカの右傾化とブッシュ政権の誕生であり、それによって彼女の言うところの"楽観的な時代"だった90年代は終りを迎える。大人数での長編映画制作に息苦しさを感じていた彼女にとって、映画製作への失望と政治局面への失望を抱えた2000年代の幕開けは嘆かわしいものだったかもしれない。一つだけ確実に言えることは、前作『River of Grass』から12年経って、作風が劇的に変化

サフディ兄弟『Daddy Longlegs』父への愛憎は天に昇る

大傑作。『Go Get Some Rosemary』という別の題名も付けられているサフディ兄弟の監督二作目。映画の中ではそっちになっているので、"あしながおじさん"という題名のほうが後から付けられた…のか?映画は34歳になる映像技師のレニーが、別れた妻に付いていった子供たちを数週間引き取るところから始まる。彼は父親というよりも年長の友人として振る舞い、それは子供たち以上に子供のようだ。ガキっぽいということではなく、子供のように好奇心旺盛。そう、『The Pleasure of

サフディ兄弟『The Pleasure of Being Robbed』移ろいゆく世界の観察者たちよ

通りを歩く一人の女性に声を掛けるエレノア。ベッカ!イディス!エイミー!と呼びかけても女性は振り返らない。ドーン!と呼んでようやく振り返った女性に"久しぶり!"と駆け寄って、そのままバッグを頂戴する。ニューヨークの寒々しい街中を真っ赤なセーターを着て駆け回り、場違いすら感じるほどに明るく生きる彼女の姿はマイク・リー『ハッピー・ゴー・ラッキー』の主人公ポピーにも重なってくるが、空いている鞄があれば飛びついてしまうあたり、好奇心も進みすぎて完全にクレプトマニアそのものである。よくよ

ケリー・ライカート『Ode』ボビー・リーを覚えてる? with『Then, a Year』『Travis』

1994年に『River of Grass』で鮮烈なデビューを飾ったケリー・ライヒャルトは、次の長編作品まで12年ものブランクがある。その間には中編『Ode』(1999)及び短編『Then, a Year』(2001)と『Travis』(2004)を撮っているに留まる。この頃から自分の手で編集を始めるなど作風の変化も訪れた時期であり、『River of Grass』とは違う表現手法へ手を伸ばそうとして模索しているのが伝わってくる。 ・『Ode』本作品は『River of G

ケリー・ライカート『リバー・オブ・グラス』ロードムービーの解体と"ワンダ"の再構築

圧倒的大傑作。現代にバーバラ・ローデン『ワンダ』が蘇ったかのような感動がある。しかも、同作より短いにも関わらず、普遍性を突き抜けた形で再構築した本作品は、カップル・銃・車というジャンル映画的なアイテムを手に入れたにしては緩やかかつ気だるげな時間を無限に消費し続ける。『ワンダ』の枠組みを使ってロードムービーを解体し、別次元に再構築してしまったのだ。 映画は主人公コージーの気だるげな自己紹介から幕を開ける。1962年に生まれ、10歳で母親が出ていってしまい、元ドラマーの父は彼女