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新作映画2019

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2019年の新作ベスト選考に関わる作品をまとめています。具体的には2019年日本公開、2019年制作映画で鑑賞できたもの、2018年制作の未公開映画で2018年に入手できなかった… もっと読む
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記事一覧

ルパート・グールド『ジュディ 虹の彼方に』ジュディ・ガーランド、最後の一年

スザンナ・ニキャレリ『Nico, 1988』と内容が全く同じって地味に凄いことなんじゃないか。全盛期を扱ってあげろよという思いも含めて。共に麻薬中毒だった人気女優の最晩年を追った作品で、子供や夫たちとの関係の描き方もステージまで到達すれば本気出せるとこまでしっかり被っている。同作と異なるのは、太りやすい体質だったせいで食欲減退用にアンフェタミンを渡され、結果的に薬物中毒になっていったという子役時代における"きっかけ"や"栄光の時代"を描いていたことくらいだろうか。いや、一番の

ライアン・ジョンソン『ナイブズ・アウト / 名探偵と刃の館の秘密』エルキュール・ポアロ版"犬神家の一族"

なんと家系図を書いてしまったので、ご参考までに。 犯罪小説家の大富豪が誕生会の夜に自身の大豪邸で亡くなり、その子供たちの醜い遺産相続戦争が幕を開けるとなれば、それはもう『犬神家の一族』だ。亡くなったハーラン・スローンビー翁の名を冠して『スローンビー家の一族』と呼んでも差し支えない。流石に佐清は出てこないが。そして、そこに登場するのは仏語風の名前を持つ胡散臭い自意識過剰な探偵ブノワ・ブランであり、同じく仏語圏(ベルギー)出身で尊大で自意識過剰な名探偵エルキュール・ポアロを想起

サフディ兄弟『アンカット・ダイヤモンド』金の切れ目は縁の始まり

圧倒的大傑作。原題"Uncut Gems"は"未加工の宝石"を意味し、その宝石とはオパールであることは一応言及しておきたい。エチオピアのWelo鉱山で採掘されたオパール鉱石を手にした借金まみれの宝石商ハワード・ラトナーは、返済期日に追われながらニューヨーク中を駆けずり回って、違法行為に手を染めまくる。ハワードを演じるアダム・サンドラーはキャリア30年で初めて"まともな"演技をしたとまで言われており、"適切な演出の下であれば化物に変化できる"とまで激賞されている。個人的にはポー

Aaron Schimberg『Chained for Life』ルッキズム批判を超えたその先へ

凄まじい大傑作。トッド・ブラウニング『フリークス』の舞台裏を現代で緩く再現したかのような内幕もので、アルトマンライクな長回しと他愛ない会話が積層していく。映画内映画では、盲目の妹とそれを治そうとする医師の兄を中心に、妹と他の患者たちの交流を描いている。しかし、映画の大部分はその外側にあり、自分の見た目から自虐的になっている俳優ローゼンタールと妹役を演じるメイベルとの交流を通して、それぞれの、引いてはクルー全体の細やかな成長を描いている。 冒頭で引用されているポーリン・ケイル

ジェニファー・ケント『ナイチンゲール』 悪党どもはぶち殺せ

1820年代、タスマニアは流刑地だった。当時、ブラック・ウォーと呼ばれる植民者とタスマニアン・アボリジニの戦いは苛烈さを増していた。物語はアイルランド系受刑者クレアを中心に展開し、傲慢な為政者であるイギリス人やアイルランド人を含めた白人に虐げられているアボリジニの胸糞悪い歴史が、家族を殺されたクレアの復讐の旅に圧縮される。『女ガンマン 皆殺しのメロディ』or『天使の復讐』と『美しき冒険旅行』と『UTU / 復讐』を同時に味わえると言えば良いのか。字面からも分かる通り、レイプリ

ラドゥ・ジュデ『野蛮人として歴史に名を残しても構わない』歴史修正主義の大いなる闇

"我々の名が蛮族として歴史に刻まれても構わない"というのは、1941年にルーマニア統治下のトランスニストリアにおけるユダヤ人虐殺事件、所謂"オデッサの虐殺"について当時ルーマニア軍の最高指導者だったイオン・アントネスクが宣言した言葉だ。70年経った現代のルーマニアで、マリアナ・マリンという芸術家(同名の詩人にも目配せ)が舞台監督としてその事件を正確に再現しようとする。彼女は責任者としてエキストラの演技指導、銃・軍服・爆発音・発砲音などの選定などを行っている。本作品がただの問答

ペドロ・アルモドバル『ペイン・アンド・グローリー』痛みと栄光、これが私の生きた道

今年やたらと評判のいいアルモドバルの新作は、本国公開後にカンヌに招待されるという異例の待遇を受けた後に、アントニオ・バンデラスが主演男優賞を受賞した。彼以外にもペネロペ・クルスやセシリア・ロス、フリエタ・セラーノといった常連たちを引き連れて(彼はいつも常連たちで映画を撮ってる気もするが)完成した最新作は、低迷するキャリアに悩む中年映画監督が主人公となっており、常連たちのアンサンブルも相まって、アルモドバルの自伝的な作品と言われている。そんなこと言われてしまうと、『8 1/2』

ロール・ドゥ・クレルモン=トネール『The Mustang』気性の荒い馬と気性の荒い私

アメリカ西部では、そのアイコンでもある野生のマスタングが10万匹以上も放浪しているらしく、その頭数過多は問題になっている。そこで、国は頭数調整のための施設を開設し、捕えたマスタングを放牧という形で飼育し、中には安楽死させられたり、競売のために調教される馬の存在する、と冒頭の字幕で全部語ってくれる。この調教施設に刑務所から職業訓練に来た気性の荒い男の話とくれば、マスタングの状況が示す一般社会と囚人たちの関係を対比させていることはすぐに理解できるであろう。その男ローマンは、妻を暴

A.T.ホワイト『スターフィッシュ』君が死んだ日、世界は終わった

圧倒的大傑作。A.T.ホワイトの初監督作である本作品は、ポストアポカリプスものにしては実に奇妙な展開を辿る。親友だが今は疎遠のグレースが亡くなり、その葬儀にやってきたオーブリーが主人公となる。彼女は大晦日の街を眺めながら、グレースのマンションに流れ着き、そこで彼女の影を感じながら一夜を明かす。するとどうだろう、辺り一面雪景色…なのは良いとして、街には人っ子一人いないのだ。驚いて外に出るオーブリーを襲うのは、ヴェノムとリッカーを足して二で割ったような謎の生命体(『サイレントヒル

フィリップ・ルザージュ『Genesis』挿話に分割する必要性って

本作品は全寮制男子校のお調子者ギヨームとその大学生の義姉シャルロッテの恋愛物語を交互に配置したロマンス映画という体を取っている。女性教師にちょっかいを出したり、偏屈な教師に目を付けられたりするギヨームは典型的な男子校生徒を思わせるが、彼が道化師のように振る舞っている裏の理由として、親友のニコラスに恋していることを表明すると事態は悪い方へ転がってしまう。彼は授業の発表の場を使ってニコラスへの思いを表明し、その場面では"よく言った!"と英雄的に迎え入れられるが、すぐに腫れ物扱いさ

Lila Avilés『The Chambermaid』あるホテル掃除婦の夢

不思議な映画である。冒頭、かなり荒れたホテルの部屋を掃除している主人公のエヴは、結構掃除を進めた後で客が床で爆睡していることに気付く。映画はこんな感じの調子でエピソードを積み上げていき、エヴの掃除婦としての生活を淡々と描写していく。忙しなく動き回るエヴと対照的に、カメラは静かな部屋の空気感を掬い取るように静謐で動きのないショットで彼女を切り抜く。Lila Avilésの初長編作品である本作品は、昨年の『ROMA / ローマ』に続いてアカデミー外国語映画賞のメキシコ代表となった

ピーター・ストリックランド『ファブリック』90年代のトリアーが"クリスティーン"を撮ったら

言いたくないけど傑作。悪趣味な性倒錯映画や薄気味悪く特に意味は分からないけど取り敢えず長編になっている"芸術"映画を作らせればピーター・ストリックランドの右に出る者はいないのではないか。イタリアのホラー映画に効果音をつけるイギリス人効果音技師の発狂譚『バーバリアン怪奇映画特殊音響効果製作所』や教授と生徒のSM的レズビアン主従関係『バーガンディ公爵』などを観てみれば、昔のユーロホラーや基軸国としているハンガリー映画への目配せなどを感じずにはいられないものの、同時に作品から溢れ出

ジェシカ・ハウスナー『リトル・ジョー』園芸版"ボディ・スナッチャー"

"Happiness is Business (幸福はお仕事)"という本作品のコピーが本作品の無機質なディストピア感を最も良く形容している。主人公のアリスは優秀な植物エンジニアであり、我が子のように愛情を注ぎ、適切な温度下で適切な食事を与え、言葉を語りかけることで幸福を与えてくれる花粉を出す植物"リトル・ジョー"を開発する。オーストリア出身、欧州で活躍するジェシカ・ハウスナーはカンヌ映画祭ある視点部門の常連監督であり、その初英語作品である本作品が満を持してコンペに選出された。

ジョアンナ・ホッグ『スーヴェニア -私たちが愛した時間-』嗚呼、懐かしの80年代イギリス

母親と地元が大好きな少年の映画を撮ろうとしている若い女性監督。モノクロ写真と共に、彼女が情熱的に映画についてラジオで語る。続くパーティでも彼女はカメラを首から下げて友人たちの姿を撮りながら、新作の構想を語っている。今年最も批評家と観客の評価が分かれていると言っても過言ではない本作品は、監督ジョアンナ・ホッグの映画学校時代の経験を基にしたセルフポートレイト的な趣を持つ作品で、フィルムのようなざらついた繊細な色彩感や音楽、ファッションを含めて、80年代初頭のイギリスの倦怠感を知る