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アフリカ映画

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自身の映画記事のうち、アフリカ映画に区分されるものをまとめています。ロシア、ハンガリーに比べると競争率は高めですが、頑張ります。
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#映画レビュー

マティ・ディオップ『ダホメ』ベナンに戻ってきた美術品たちについて

傑作。2024年ベルリン映画祭コンペ部門選出作品、金熊賞受賞作品。マティ・ディオップ長編二作目。2021年、フランスはダホメ王国から略奪した美術品26点をベナンに返却することを決定した。物語はおおよそ二部構成になっており、前半はフランスでの梱包からベナンでの開封展示作業、後半はベナンの若者たちの討論会を描いている。前半ではフランス人によって"26番"の名付けられた美術品が喋り出し、闇の中で待ち続けた130年を思い返しながら、自分が知る時代の130年後の故郷に思いを馳せる。同じ

Rungano Nyoni『On Becoming a Guinea Fowl』ザンビア、沈黙と従属を強いる伝統への反抗

傑作。Rungano Nyoni長編二作目。何も知らずにキービジュアルだけで鑑賞を決定したが、A24製作だし『I'm Not a Witch』の監督だった。物語はザンビアの首都ルサカ郊外にある薄暗い道のど真ん中で、主人公シュラが母方の伯父フレッドの死体を発見するシーンで幕を開ける。シュラは仕方なく死体が運ばれるまで監視する羽目になり、酔っ払った従姉妹のンサンサに絡まれて、なぜか実家を葬儀会場に使われ、ホテルに退避したら"第一発見者なんだから報告する義務がある"とかなんとか言わ

アブデラマン・シサコ『Black Tea』広州のアフリカ系移民街に暮らす人々の物語

2024年ベルリン映画祭コンペ部門選出作品。アブデラマン・シサコ長編五作目。市役所に集まる人々。彼らは市長による結婚宣言を待つ人々だ。何組かの新郎新婦とその親族たちが待機する中で、主人公のアヤは"この男を伴侶とするか?"という質問に"ノー"と答える。なんとも魅惑的な幕開けだ。すると映画は、いきなり中国は広州にあるアフリカ系移民が多く住む"チョコレートシティ"と呼ばれる場所へ遷移する。店を開く黒人たちも中国人たちも客として訪れる黒人たちも中国人たちも皆が知り合いで、巡回する二人

Jean-Michel Tchissoukou『The Chapel』コンゴ共和国、教会建設騒動顛末記

Jean-Michel Tchissoukou長編一作目。1942年、コンゴ共和国ポワントノワール生まれの彼は、フランス国立視聴覚研究所(INA)やオコラ(仏レコードレーベル)で映画を学び、帰国後は国営テレビ局で10年間働いていた。1970年に中編映画『Illusions』を発表、1972年にはサラ・マルドロール『サンビザンガ』の撮影にアシスタントとして参加した。その後、初長編として発表した本作品はFESPACOにて"真のアフリカ映画"賞を受賞し、国際的に認知された最初のコン

カウテール・ベン・ハニア『Four Daughters』チュニジア、ある母親と四人姉妹の物語

傑作。2023年カンヌ映画祭コンペ部門選出作品。2024年アカデミー国際長編映画賞チュニジア代表。カウテール・ベン・ハニア長編六作目。前作『皮膚を売った男』が激しく嫌いだったのでハードルは下がるどころか若干ナメてかかっていた節すらあったが、これは凄まじかったので反省中。映画は画面に登場した監督が緊張していると零す場面から幕を開ける。彼女はオルファと彼女の四人姉妹の娘たちの映画を撮るにあたって不思議なアプローチを採っていたからだ。それは、"消えた"上二人の姉ゴフランとラフマを女

Ramata-Toulaye Sy『Banel & Adama』セネガル、村の規範との戦い…?

2023年カンヌ映画祭コンペ部門選出作品。2024年アカデミー国際長編映画賞セネガル代表。Ramata-Toulaye Sy長編一作目。ラインナップ発表前日に"ある視点"部門からコンペに格上げされたらしく、個人的には問題のあったマイウェン作品と交代したのではないかと考えている。監督はフランスの国立高等映像音響芸術学校(通称ラ・フェミス)の生徒で、本作品の脚本は四年時の卒業製作で書いた作品だそうな。恐らくそこで知り合ったであろうトルコ人監督コンビの『シベル』には脚本で参加してい

Ariadine Zampaulo『Maputo Nakuzandza』モザンビーク、マプートのある一日

2023年ワガドゥグ全アフリカ映画祭コンペ部門選出作品。モザンビーク首都マプートの朝は早い。夜が明け始めると同時に、若者たちは酔いを醒ましながら帰路につき、女たちは朝の支度を始める。その横では"Maputo Nakuzandza(マプート、あなたを愛してる)"というラジオ番組がニュースや天気を読み上げている。そして、マプートでのある一日が始まる。無我夢中で道なき道を走る黒Tシャツの男、結婚式から脱走した花嫁、髪の毛を盛りまくった陽気な旅行者といった特徴的な、それでいて個人とし

オタール・イオセリアーニ『そして光ありき』ジョージアと木、アフリカと木について

傑作。オタール・イオセリアーニ特集上映配給のビターズ・エンド様よりご厚意で試写を観せていただく。オタール・イオセリアーニ長編八作目。全編アフリカで撮影された作品のようで、舞台になるのもディオラ族が暮らすセネガルの森と川である。ディオラ族は男性陣が炊事洗濯担当、女性陣が狩り担当らしく、冒頭からアグレッシブに男を取り合ったり、古タイヤの取り合いで傷害沙汰になったりしている。不思議なのは、彼らは彼らの言語で会話し喧嘩し愛を呟いているが、それらに全く字幕が付けられておらず、ときたまフ

センベーヌ・ウスマン『Faat Kiné』セネガル、ある自由な女性についての物語

大傑作。センベーヌ・ウスマン長編八作目。初長編『Black Girl』以降、セネガルにおける女性の声を過去/現在問わず拾い上げてきたセンベーヌの集大成のような作品。主人公キネは、未婚の母親という汚名に屈せず、家父長社会でキャリアを築き、今ではガソリンスタンドのマネージャーをしている。彼女の事務所にはひっきりになしに人が訪れる。足が悪いパテはスタンドの一同が金を集めて買ってあげた車椅子を無くしたと屈託のない笑顔で言い張り、花売りの友人は毎朝机上の花瓶を取り替えてくれて、ずっと両

センベーヌ・ウスマン『Guelwaar』セネガル、父の遺体はどこに消えた?

1992年ヴェネチア映画祭コンペ部門選出作品。センベーヌ・ウスマン長編七作目。題名"ゲルワール"は植民地時代よりも前にセネガルに存在した王朝の名前に由来している。それは同時にピエールという高潔な知識人でカトリックの老人の渾名を指し、彼が亡くなったことをきっかけに映画が幕を開ける。しかし、葬儀をあげようにも安置所から遺体が消えてしまった。空の棺で葬式をする一方で、警察署長と長男バルテルミは遺体を誤配送したイスラム教の村にやって来る。彼らはフランス語の文書が読めなかったので、棺の

センベーヌ・ウスマン『チェド』セネガル、宗教三つ巴抗争と囚われの姫

センベーヌ・ウスマン長編五作目。キャリア初の時代劇。舞台は18世紀くらいだが明言はされず、センベーヌとしては現代まで続く、そしてアフリカ全土で行われている事象として一般化しようとしている。舞台となる王国では三つの勢力がしのぎを削っている。一つ目は伝統を重んじる王国派、二つ目は新興勢力として実験を握ろうとするイスラム教派、三つ目は二人の白人が代表するキリスト教派である。白人たちは権力よりも奴隷や武器を含めた交易に興味があるので、実質的にはニ勢力だが。イスラム教徒を率いる導師によ

センベーヌ・ウスマン『ハラ(不能者)』セネガル、不能の呪いは"西欧への羨望"?

傑作。センベーヌ・ウスマン長編四作目。最高傑作と呼ばれる同名自著の映画化作品。冒頭でラフな服装の黒人たちが中央官庁に押し入り、そこにいたスーツの白人たちを追い出す。曰く、"我等の手で工業や商業、文化をコントロールしよう"。すると、次の場面では追い出された白人たちが同じオフィスに入り、スーツで身を固めた黒人たちにブリーフケースを差し出す。金ピカのおまんじゅうである。つまり、首長が変わっただけで結局は白人たちの傀儡なのだ。さて、そんな汚職と職権乱用に塗れた高級官僚の一人エル・ハジ

センベーヌ・ウスマン『エミタイ』セネガル、ディオラにとって米は神聖なもの

傑作。センベーヌ・ウスマン長編三作目。日本で初めて公開されたセンベーヌ作品(R.I.P.岩波ホール)。二次大戦期のセネガル南部カザマンス地方、宗主国フランスのヴィシー政権は植民地から男たちを強制的に徴兵しており、それはディオラ族の人々にも無関係ではなかった。冒頭では腰丈まである草原の獣道を歩く男が、隠れていた赤い帽子の黒人兵に次々と連れ去られる瞬間が描かれている。このとき携帯していたクワなり自転車なりは子供たちによって回収されて村の中にある木に集められるのだが、物言わぬクワや

センベーヌ・ウスマン『Mandabi』セネガル、絶望的なたらい回しと無限湧き金せびり

センベーヌ・ウスマン長編二作目。監督本人の同名小説の映画化作品で、母国語であるウォロフ語での初監督作。西アフリカ初のアフリカ言語による長編映画らしい。主人公イブラヒムは妻2人子供7人と共にダカールの住宅街に暮らしている絶賛失業中の中年男。そんな彼の下に、パリで働く甥っ子から25000フランの為替が送られてくる。意気揚々と換金しに行くと、身分証明書がないという理由で断られ、警察署に身分証明書を作りに行くと出生証明書を求められ、市役所に出生証明書を作りに行くと生年月日を求められ、