サジャーリン先生

「来週は我々の祖先であるヒトが生存していた惑星である『地球』に降り立って観察を行うぞ。重力と気温調整に関する注意事項のデータを各自のスカウターに送るのでしっかり頭に入れといておくように」
メインスクリーンに映る担任のサジャーリン先生は八本ある手のうち二本を使って、空中にエアーデバイスをスクリーニングしてから僕たちが学校から支給されているスカウター型デバイスにインストールされている電子メールに来週の課外授業に関する注意事項や資料を添付したメールを一斉送信した。「メールを受信しました」という音声が二〇あるスクリーンからこだました。僕はエアーデバイスのスクリーン機能を閉じて、右耳を覆うスカウターのマザーボードの外にあるスイッチを押してメールを開いた。角膜を通した映像が脳内に焼き付くように記憶された。スカウターのスイッチを切ってソファの背もたれを倒してベッドに変形させてそのまま寝転がった。環境汚染と人口増加による食糧不足で地球に生息していたヒトはまずその一部が、宇宙で自転して重力を生み出す構造で地球と同じような環境を内部に保管したコロニーに移り住んでいた。ヒトから進化しあらゆる惑星で生息できるように進化した僕らからすると想像できないが、コロニー内の権力闘争に敗れて宇宙を彷徨い、当時初めて観測された地球外生命体、つまり僕たちのもう一つの祖先であるポメロに接触したトマス・アントンの伝記を脳内再生する。
 コロニーから強奪した食料はすでに底をつき、エンプライズ号の燃料の残量もわずかで次に着陸できる星に我々の命運を全て賭けるしかなかった。
「ありました!」操縦桿を握るクラークの嬉々とした叫びにわたしは息を飲んだ。レーダー反応に映る流星群の後方に大きな不動の反応体はそれが惑星であることを示していた。流星群を避けて回り込むように向かうのが定石だが、その燃料さえ我々には残されていなかった。「ちょっと揺れますよ!」クラークが叫び、船員たちは皆、頭を下げて両手で抑えて抱え込んだ。わたしは船長席で万一に備えレーダーを確認しながら非常時用の操縦桿に手を掛けた。操縦室のフロントガラスの前を無数の大小の隕石が回転しながら通り過ぎて行く。ドンドンと鈍い音が船外から聞こえ、激しくシートが揺れて身体が腰から浮き上がった。「よし、抜けるぞ!」クラークの言葉に皆が安堵したように頭から手を離して顔を上げたその時、わたしは流星群の後ろにあるレーダー反応を確認した。「まだだ!」わたしは操縦桿を引き、船体を急浮上させた。巨大な隕石がエンプライズ号の噴射口下すれすれを通り過ぎた。
「危うく宇宙の藻屑になるところでした……すみません」操縦席から申し訳なさそうに振り返るクラークにわたしは右手の親指を立てて頷いた。
「あ! 見えてきました!」医師として乗り込んだヨハンの指差す先に赤茶色と黄土色がマーブル模様に映る表面の大きな惑星が肉眼で確認できた。
「よし。慎重に行こう。まず、わたしが降りて様子を確認する」わたしは席を立ち、操縦室を出てから宇宙服を着てシャフトに立った。激しく揺れてから身体が重くなる感覚があり、わたしはこの星に地球と同じくらいの重力があるのではないかと思った。船体が大きく縦に揺れてエンジン音が停止した後、シャフト扉に付いたカバーを開けて外の様子を確認した。黄色がかった空の下に青い、海かと見間違うような平らな陸地が広がるトロピカルな印象を与える惑星だった。逆噴射で機体の落下速度を落としながら無事にエンプライズ号は未知の惑星に着地した。わたしは宇宙服の酸素量を確認し、扉の開閉ボタンを押して階段状に地面へと掛かる扉の上に右足をゆっくりと置いた。身体は浮遊せず、ずっしりと重い懐かしい力がわたしの身体をこの星へと否応なく誘った。青く見えていた地面の正体は、苔のように地面を覆っていた青く輝く鉱物のような大小の石だった。わたしはジャッジャッと足裏に伝わる感触をしばし楽しんだ後、この惑星の空気中成分を確認する為に空中にエアリサーチャーをかざした。窒素と酸素、二酸化炭素、少量のリンと地球とほぼ変わらない我々が呼吸可能な構成だったので、わたしは宇宙服の酸素供給を止めてメットを脱いだ。あとは飲食可能な水と動植物の存在さえあれば、この地は新たな人類のフロンティアとなる。わたしは言い知れぬ興奮を覚えた。だが突然、目の前が真っ暗になりわたしは気を失った。
そこで伝記は終わった。でも、この続きを記録した古いデータが地球で使われていたという折り畳み式のデバイスで再生できると骨董品マニアのクラスメイト、ラクスからクラスのみんなが順番に回していて、ついに僕に回って来たのだ。僕はディスク型のデータをデバイスの横に付いた切れ込みに挿入した。
 目が覚めると、暗がりの中にわたしは居た。急な環境変化による視覚障害か何かだろうと思った。しかし、わたしは身ぐるみを剥がされて両手足を縛られている状態であることが分かるとパニックになった。どういうことだ? あの一瞬で何が起こったのか、痛みも何も感じなかったはずだ。目が暗がりに慣れてきてわたしは自分が置かれている状況を確認するように努めた。両手は後ろに回されていてよく分からないが、両足は黒っぽい四角くて硬く重い石に二つ穴をあけたようなもので拘束されている。それ以外は一切何も纏っていない。気を失った間に暴れたのか、乱暴されたのか、小さな擦り傷が全身にあるようだ。痛みよりも痒みを感じる。部屋の四隅をゆっくりと身体を転がしながら確認する。人ひとりが辛うじて寝起きできる程の空間だ。地面は真っ平で滑らかで硬く冷たい。口は塞がれていなかったのでわたしは「誰か!」と二度叫んだが、狭い空間に空しく響くだけだった。その時、黒い空間が真っ二つに切り裂かれるように、白い光が差し込み、音もなく黒い壁が開いた。わたしはその眩しさに目を閉じた。瞼をゆっくりと開くと、緑色の何かが目の前に現れた。わたしは恐る恐る視線を上にやった。緑色に光沢する皮膚の表面は堅そうで分厚く凸凹としていてイグアナのような爬虫類の生物を思い起こさせたが、二本足で直立し発達した胸筋の横に伸びる腕は地面に着きそうなほどに長く、二つの関節で折れ曲がっていてひどくアンバランスに見えた。口元は三葉虫のような幾つもの黄色い節でマスクのように覆われていて、鼻もそこに収まっているのかよく分からなかった。その目は黄色い眼球に黒い切れ目の入った蛇目で、ぎょろりとこちらに視線がぶつかり、わたしは地面に目を伏せた。長い手の先にある黒い鉤爪の硬い先端がわたしの頬にピトリと触れた。わたしは恐怖に体を震わせた。鉤爪がゆっくりと肩の方に移動し、がっしりと食い込むように掴まれてわたしは体を起こされた。両足の拘束具がスパッと切られてカランコロンと床に転がった。しかし、両手の拘束具は外してくれなかった。肩を掴まれたまま強い力で部屋を押し出された。赤い絨毯のようなものが敷き詰められた細長い通路が左右に伸び、目の前は銀色の壁で覆われていた。右の肩を開きながら右へと方向を変えさせられて、わたしはなされるがままにただ前に進んだ。しばらく進むと右手に外に湾曲した扉が見えた。わたしたちが扉の前に立つと扉がゆっくりと開き、扉がそのまま階段となった。強く押され、つんのめりながらわたしは階段を下りた。青い鉱石の広がる大地と黄色い空、私が気を失う前と同じ景色が広がり、振り返ると建物だと思っていたものが、円盤型の宇宙船だったことが分かった。
「一体どうしようという気だ?」わたしは蛇目の怪物に向かって聞いた。言葉が通じたのか、分からないが怪物は顎で宇宙船をしゃくってわたしの方に長い手を折り曲げて指差した。わたしはエンプライズ号に連れて戻すのだと解釈した。意外と話の分かる生物なのかもしれない。その淡い期待はすぐに裏切られた。怪物はエンプライズ号に着くなり、クラークとヨハンを信じられないくらいに開いた口の中に放り込んで食べた。怪物は奇声を上げながら背中から四本の手を生やして口を開いた。食べられると観念したが、怪物は「さあ、お前たちの星に行こう」と流暢に話した。「何が目的なんだ? なぜわたしを食べない?」「時が来たらお前も八本目の手になってもらうさ」わたしは怪物に喰われる前に人類の危機を記す為このノートを残す。彼らの目的地は地球だ。彼らは我々の中に溶け込んでそこを目指すだろう。

「みんな揃ったか?」サジャーリン先生が八本の手で生徒たちを点呼する。
「はーい!」元気な返事にサジャーリン先生はニンマリと笑った。少し尖った鉤爪が僕の肩に食い込んだ。「どうしたんだ? 具合でも悪いのか?」耳元で囁くサジャーリン先生の生臭い息が僕の鼻を突いた。

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