20240809

 七十九年前、長崎に原子爆弾「ファットマン」が落された。わたしの父方の祖母は爆心地から圏内にいた。放射能による後遺症などはなく、八十過ぎまで生きたが最後は胃癌で苦しんだ。被爆手帳を持っていたので医療費はかからなかった。つまり、わたしの父は被爆二世でわたしは三世である。父は高血圧で、わたしはアトピー持ちだが著しく健康を損なうような症状はない。それでも、一抹の不安はつきまとう。なにか知らない影響があるのではないか、そういう不安は末代まで続くだろう。広島、長崎にルーツを持つそういう人がたくさんいる。
 長崎を最後の被爆地に、今も後遺症に苦しみながら生き残った被爆者の方々はそういう想いで自身の悲惨な体験を語っている。せめてこの一日だけは七十九年前の犠牲者、被害者の方々に思いを馳せて欲しい。

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