日本建築空間史

建築を勉強して以降、ずっと1つの疑問があります。

日本の伝統住宅(いわゆる和風住宅)と現代住宅(いわゆる建築家の設計する住宅)がなぜこれほどまでに分断しているのか?

建築業界の外からはわかりにくいかもしれませんが、これらの両方を手掛けることができる建築家はほぼいません。なぜかというと、考え方の根本から異なることや、各部のディテールも全く異なるため、その両方に経験のある建築家が少ないためです。「分断」という言葉を使ったのも、同じ土俵・文脈で語られることがないことや、関連性が見出しにくく、もはや全く異なる文化とでも言えそうな状況です。

一旦、両方の分野を整理してみましょう。

伝統住宅(いわゆる和風住宅)は、農家・百姓の住宅であった田の字型プランをベースにしていることが多く、さらに遡ると書院造り(室町時代)にその源流があるとされています。例えば、「床の間」は書院造りの時代から登場しました。これを現代にアレンジしようとした建築家が吉田五十八で、数寄屋建築の大家とも言われていましたが、その後に続く建築家は表舞台に登場していません。

一方の現代住宅(現代建築)は、産業革命以後に登場した「モダニズム」をベースにしており、合理性・機能性や幾何学形態(工業製品)といったキーワードを重要視しています。ハウスメーカーはプレハブ化や規格化を通して、この工業化の最たる姿とも言えそうです。
建築家もやはり「モダニズム」をベースにしていますが、ハウスメーカーと異なる点は、①新しい空間の探求といった建築学の探求ともいえるエネルギーがその底流に流れているため、既存の枠組みからの逸脱を試みていることや、②アート寄りのスタンスをとっている場合、アート界同様、そのコンセプトが西洋文化の中での位置づけを明確にしておく必要があるため、アート界でのキーワード(やはり、モダニズム等が登場します。)の文脈で自分の作品を語る必要がある、といったポイントが、ハウスメーカーと建築家とで異なる点でしょうか。


個人的な意見として、分断の大きな理由は、建築教育の現場にもあるように思います。そもそも「建築家」という職業自体が西洋からの輸入品とも言えますが、その思考性は、コンセプトを立て→プラン・空間で示す形であり、そのコンセプトの部分にモダニズムなどの西洋の文脈が登場します。建築家の考える住宅はこの思考性=コンセプトが重要な位置を占めています。伝統住宅に関しては、教育現場では建築史の中の1ページで、その深堀はしていないことが多く、設計実技教育でも、先のコンセプトから成り立つ空間性が重要視されています。

一方の伝統住宅は、室町から現代まで続く住宅形式であり、日本人の生活スタイルにもあっているため、多く採用されていますが、特徴付の仕方が、大工の技や材木の樹種などに依る所が多いため、伝統住宅は建築家のスタイルでなく、大工による設計施工の場合に多く採用されていると思われます。日本では大工文化の方が長く、建築家は明治以降の文化ですので、お互いにポジションをすみ分けているとも言えます。建築家と大工の作る家では、その腕の見せ所が違うとも言えそうです。

ちなみに現代の日本の建築教育でモダニズムがこれほど主流になったと思われる理由は、これも個人的な意見としては、丹下健三の存在が大きいと考えています。
すごくザクっと60年代ごろから現代への状況を整理すると、日本の伝統的住宅建築は図らずもモダニズムの目指した姿に近いものがあり、丹下健三氏、磯崎新氏を筆頭に世界のモダニズムの潮流に日本建築もまた、はばたくこととなったと考えられます。建築の発想の原点となるコンセプトは、アート界と同様、西洋文化の流れを踏まえていることを示す必要があり、建築界ではそれがモダニズムでした。そしてそれは、機能性や合理性、幾何学形態などのキーワードで語られることが多いものでした。

以上の様に整理してみると、建築家と大工の住宅の違いもその背景が見えきて、いつもと違った見方ができると思いませんか?

そんなことを考えさせられた書籍が「日本建築空間史・西洋建築空間史(安原盛彦著)計4巻」でした。
以前に読んだ建築家槇文彦氏の著書に、今後は空間に焦点を当てた歴史に可能性を感じている旨の記述があった。しばらくして、そのドンピシャなタイトルの本に出会い、以前から疑問に思っていた、日本建築空間の特異性や建築手法が西洋的・現代的視点から整理されており、非常にわかりやすく、腑に落ちる思いであった。


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