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「きょうだい」学校に入るまで、小学生編

 [学校に入るまで編]では、きょうだいが未就学児の時期から幼稚園に入るまでについて書かれています。ちなみに、この本では障害を抱えた子たちを「兄弟、姉妹」と記載し、障害を抱えた子たちの兄弟(この本での主人公たち)を「きょうだい」と記載しているため、私もこの本と同様に自分たちを「きょうだい」と表現します。

自分が幼稚園に入るまでについては、正直記憶がほとんどないです。(笑) 私と弟は5歳離れているので、弟も生まれてないですね、今書いてて気づきました。(笑)

ので、気を取り直して小学生編について書きます。

この本は主人公目線でのエピソード毎に解説があり、さらにヒントが書かれています。

未就学児~小学生編

 弟は生まれた瞬間泣かなかったそうです。結局30分で一度くらいしか泣かなかったみたいで、すぐに医療措置が始まったのかな。そのため正確には覚えていませんが、私たちの住む家には帰って来ず、わたしたち「きょうだい」も、地元の施設で2週間過ごすことになりました。その時私は年長さんで、とにかくいもうととおとうとの面倒を見なければ、という感じだったのだと思います。大浴場でおとうとが蛇口を触って火傷したらしい。おとうとじゃなくでいもうとだったかもしれない、それくらい曖昧な記憶です。そんななかで2週間だけでしたが、そこで暮らすお兄ちゃんお姉ちゃんたちに遊んでもらっていた記憶もうっすらあり、施設から自宅に帰ったあとも、毎年施設でしている夏祭りに数回行ったような気もします。

 自宅では弟は、とても可愛かったと思います。でも赤ちゃんの時の記憶はほぼなくて、歩行器でとにかくリビングを動き回っていたり、牛乳アレルギーなのに歩行器にこぼれた牛乳を舐めてしまって、お母さんが騒いでいたような記憶しかないかもしれません。

 弟は生まれた時から病院に通うことがすごく多く、きょうだいで付き添うこともたくさんありました。ほとんどが母子センターで、正面入り口から大きい汽車の遊具があって、そこできょうだいや他の子どもと遊んだり、壁際にあるテーブルで宿題をしていることが多かったです。子どものときはあまり寂しい気持ちではなく、待たされる、というよりあの遊具のところに遊びに行ける、外出できることがうれしかったように思います。学校が終わってから行くことがほとんどで、ほかの人が少なかったような、どんな子どもたちが周りにいたか全然覚えてない。でも、いつも駐車場に「鹿児島」「愛媛」「島根」「静岡」みたいなナンバーがたくさんあって、(えー、こんな全国から人が来るような病院なん?すご、近くに住んでてラッキーやな)と思っていました。

 あとは、弟は幼稚園に入るまでは「幼児教室」にも行っていたと思います。普通の子ども会みたいなのとは違って、障がいをもつ子どもたちが親と来ていて、すごくたくさんいたと思います。何回か遊びに行きましたが、そこにいる子どもたちと遊ぶというよりは、おもちゃがたくさんあるのでそのキッチンで遊んだり、自分の弟やきょうだいたちと遊んでいた気がします。またその教室の近くに大きい図書館があったので、そちらに行っていた方が多かったと思います。おかげで「メリーポピンズ」や「スラムダンク」「赤ちゃんと僕」「天使なんかじゃない」が大好きになりました。高橋留美子さんの漫画もきょうだいと沢山読みましたね。もちろん弟も読んでいると思うし、今ではスラムダンクは実家に全巻そろっています。弟の部屋に。

 私が小5のときまで弟は幼稚園生でした。私たちきょうだいと同じ地元の私立幼稚園に通っていたのですが、母から聞くとかなり大変だったようです。まず母は、幼稚園側と入園前にいろいろ話し合ったようで、3年間PTAの仕事をおこなっていました。また幼稚園の先生も、同じ先生が3年間担当してくださいました。当時は特別やなー飽きひんのかなと思っていたくらいですが、今思えば特例中の特例かもしれません。ほかに聞いたことないです。弟はアレルギーもあったため、給食等の対応は大変だったと思います。いちど園内でけいれんを起こしてしまったこともあったとのことです。でも私は後から話を聞いただけで、えーそんなことあったんや、くらいの気持ちでした。もし自分が母親だったら対応できるかとても怖いです。その当時は母はわたしたちきょうだいを育てながら弟のことも育てていたなんて、自分に置き換えて想像もできないです。自分が将来産むかもしれない子どもにも、同じことがあるかもしれないですし、そのときは母が大先輩なので、心強いかもしれませんね。

 母は、こどもたちが多いからかママ友もすごく多かったです。社交的な母の性格もあり、色んなきょうだい、弟たちの母親や子どもたちと遊んでいました。自宅に自作お菓子の家(ダンボールで作った家にお菓子を貼り付けた)を作ったときは30人くらい来ていたと思います。近所のみんなを呼んだり、色んなお友達の家に遊びに行ったり。私もきょうだいも、年を重ねるにつれてだんだん陰キャ化していくのですが(笑)その当時は明るい子だったのですね。

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