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死ぬのは怖い?

ある日、95歳のじいちゃんに「死ぬのは怖い?」と投げかけたことがある。
その返答はワタシが想像していたものではなかった。

ワタシのじいちゃんは、戦争も経験していて、数回病気で入退院も繰り返している。何度も死と向き合ってきたと言えるだろう。

そんなじいちゃんは今は高齢者の施設で生活していて、コロナの影響もあって1年以上会えていないが電話で会話できるくらい状態は落ち着いている。

死について、
ワタシが尊敬する樹木希林さんはあるインタビューでこのように語っている。

死はいつか来るものではなく、いつでも来るものなの、私の場合。
病気をしてから、いつ逝ってもいいように、自分の周りを身軽にしておきたいという思いが強くなったのはあるわね。

ワタシのじいちゃんも樹木さんのように「もうやり残したことはない。覚悟しているよ」というような返答があると思っていた。
勝手に樹木さんと同じセリフを期待していたのだ。

「この歳まで生きてしまうといつ死ぬか分からないから、毎日怖いよ。」と、じいちゃんは少し笑いながら言った。
「これまでの人生で、死に直面し、周りの同世代の人達も亡くなり、余命も分からない、怖いという感情は拭えないよ」と。

この返答には驚いた。
思っていた返答ではなかったから、じいちゃんのように沢山の経験をしても死ぬことが怖いという感情は無くならないことに。
改めて、死に対する向き合い方や受け入れは人それぞれなんだと率直に感じた。

そんなじいちゃんとワタシの思い出を一つ紹介。
小学一年生の頃、共働きだった両親の代わりに週に3回程、面倒をみるためにウチに来ていた。
その時なぜだがいつもクリームパンを買ってきてくれたいたのだが、なぜクリームパンだったかは分からない。
でもそのクリームパンのことは今でもハッキリと覚えている。
両親が帰ってくるまでコレを食べて待ってなさいと、毎回欠かさずに持ってきてくれていた。
じいちゃんが帰った後はなんだか急に寂しくなってよく泣きながら両親の帰りを待った。
そんな時、じいちゃんが買ってくれたクリームパンを食べてる間は寂しさを忘れられたように思う。
今思うとパンいっぱいのクリームと同じくらいじいちゃんの優しさが詰まっていたなあとたまに懐かしくなる。

じいちゃんにもいつか死は訪れる。
今は、長生きを望むより、一人で寂しくないように何かしてあげられることはないのか?という思いの方が強い。
じいちゃんにもらった優しさを自分なりにちゃんと返したいと思う。

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