「好き」を証明する必要なんてないのに。
このツイートを見てすごく最近思っていたことが溢れてきた。
自分の好きなことやモノ、人なんかを誰かに(理由を)証明する必要なんかないのに、どこかで気にしているいる自分がいる。
一生懸命それっぽい理由を探して伝えるんだけど、なんか違うという感情を抱く。
その結果、好きであることを隠した方が楽だということに気付く。
そうやって生きてきたし、これからも全てを開くことはないと思う。
その度に傷つきたくないから、誰かを嫌いたくないから。
でも本当は誰かに話したいし、知ってほしいという気持ちもある。
それは自然なことだと思う。
肯定してほしいなんて思っていない。
ただ、否定せずに聞いて欲しいだけ。
「それって本当に好きなの?」この何気ない言葉に悩む人間もいる。
あなたと同じ尺度で好きを測れないし、同じ感覚も持ち合わせていない。
そんな当たり前のことなのに自分の当たり前や感覚に押し込もうとする。
でもそれは、ワタシも同じ。
気付かないうちに誰かの好きを否定しているかもしれない。
そんなことを考えると少し自分を含む人間がイヤになる。
だからって好きを諦めたくない。
「あなたの好きはあなただけのもの。理由なんていらないし、証明する必要もないよ」
誰かの好きにはこう思いたいし、思って欲しいな。
そんなの贅沢なのかな。
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