miya,
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推しくん
大人っぽい考えはできるのに子どもの私が 邪魔をする。 かつてわたしは神童だったかもしれない。 ピアノも15年間続けた。 絵も、歌も自分なりに上手いと思えた。 十で神童、十五で才子、二十歳過ぎればただの人。 この一言に尽きる。 こどものころは何にだってなれると 思っただろう。 「かつて天才だった俺たちへ」を聴くと 今からでも遅くないと思う。 2023/09/12 15:58 miyachi,
久しぶりに私は推しからの手紙を読み返しました。 私の推してるグループには誕生日に手紙が届く特典があります。 他のグループにはないようなコンテンツがたくさんあったりします。 好きなメンバーと電話ができたり、一部ではLINE上でお話しができたりします。 こんなグループ他にはないなと思うんですがその分メンバーの負担がかかるんじゃないかなと思うくらいファンに寄り添ったグループです。 ふと推しからの手紙を読み返したくなり、手紙に目を通しました。 一緒に年を取ろうね、私がいる
この前書いた記事に虚言癖だとコメントを書かれて泣いて母親に連絡をした。 コメントをしたのは妹だった。 私は彼女に幾度となくいじめられてきた。 いじめられて精神科に入院したこともある。 もう二度とあのような経験はしたくなかった。 私は彼女が私にかかわらないようにと懇願した。 病気のせいか私は母に死んだら妹は喜んでくれるだろうと言ってしまった。 お腹を痛めて産んだ娘からそう言われて辛かっただろう。 私は母と父の子どもでよかったと父の死が近づくのを感じて思う。 福
仕事はゲームなんだよ とお酒の場で言われたことを思い出した。 いまいち聞いた時はあまりピンと来なかった。 今まで普通の仕事が上手くいかなくて その言葉がよく分からなかった。 しかし私にも長く続くような仕事にやっと辿り着けた。 仕事場はペットの葬儀を行う会社。 ペットの葬儀はまだ世に浸透していない。 最近犬を飼い始めた私には合う仕事だった。 仕事内容は事務なので直接葬儀には立ち合わない。 しかし葬儀の仕事だからかいわゆるお局など全くいない会社だ。 そこでは入
私はいい人間ではない。 いい人間とは何だと思うがいいか悪いかで 聞かれたらいい人間とは言えないだろう。 それでもこうやって出来る風に綴っているだけだ。 友達だった人に「言動に見合った発言をしようね」と皮肉なことを言われそれがずっと心に突き刺さっている。 その人は私を見下していたのだ。 そりゃそうだ。まともに働いていないんだもの。 きっと私の苦しみなんて知らないんだ。 なんて考えていたらその人よりかはいい人間なようにも感じてきた。 そんな人間と見比べても仕方ない
そう彼女は私に歌ってくれた。 大森靖子の「絶対彼女」の歌詞の一部である。 私自身本当は醜い人生を送ってきたと思う。 まともに仕事に就けず仕事が続けられたと思ったら夜職という自慢にも何にもならない人生だ。 本当は自分が嫌いなのだけれど大森靖子にたまに救われたりした。 私の醜い生き様が肯定されたような気がして生きてよかったとほんの少しだけでも思えるのだ。 醜い私を肯定してもらえるお守りにこれからもなってくれたら私は嬉しい。 miya,
何か目的や理由をつけて生きていませんか? と、とあるTikTokerが問いかけてきました。 私の人生は何かしら理由をつけて日々を 生きていたかもしれないと思いました。 例えばパートナーがいて、会うことが決まった時に「愛しているから会いに行く」 というように理由付けをいちいち付けることにはならないでしょう。 なんとなくだけで生きてもいい。その彼(TikToker)の一言に心にスッと落ちました。 なんとなくパートナーと一緒にいる。 なんとなく日々を生きている。で充分なんで
最近冬季うつから脱却しいよいよ春本番 最近小さな幸せを噛み締めるように日々を 暮らしている。 毎日彼は「かわいいね」と言ってくれるが その一方で体重が着々と増えている。 薬の副作用で太ってしまうのもあるが 毎日「かわいい」って言われて気が緩んで いる気がする。 やっと人生の中で穏やかに過ごせている。 社会には馴染めなかったもののこうやって 暗闇の中から光の世界に出てこれたのは 彼のおかげ。 心穏やかにこのまま幸せな日常が続きますように。 miya,
私の推しがいるグループの「なめろうさん」が 「人生とんとん理論」を提唱していた。 「人生は良いことも悪いこともとんとんに出来ている」 そうツイキャスで言っていた。 私も今は病気で辛い思いをしているが その分私には勿体無いくらいのパートナーがいる。 辛い時を乗り越えて今の幸せがあるのだろう。 今日病気できつかったけどありがとう なめろうさん! miya,
最近はうつ病の症状の倦怠感が治らずに (マジで)なーーんにもせずに日々を過ごしています。 明日で誕生日を迎えるわけですけれども ある程度歳を重ねるとまるで子供の頃の時が 止まったまま大人になってしまったように 感じます。 パワハラを受けてうつ病になってから 自分の中の人生が大きく変わってしまい 私の生きてきた27年間本当に何にも成し遂げ られなくてもやもやします。 私も普通の人と同じように仕事ができてたら と常に思います。 それでもこんな私にも私を慕ってくれる人が い
人は誰しも承認欲求があるもの。 今の世の中はSNSの普及によりそれが顕著に 現れている。 自分の顔が可愛くなければ価値がないと言われる 顔面至上主義であったり、ハイブランドを持つことで自分のステータスと感じるムーブも全て承認欲求の塊がSNSによって更に助長しているのではないか。 本当の幸せって何だろうと感じた時に上記の ものは本当の幸せと勘違いしてはいけないと思う。 私は4℃のリングでもハリーウィストンのリングでも違いがわからない。4℃だから価値がないと思っている固定
ナイトワークで働く女の子の中には一定数の 発達障害を持っている子が多い。 夜中にテレビで流れていたドキュメンタリー にはお客さんとの子どもを妊娠していたが、 親にも誰にも話すこともなく産みロッカーに 遺棄し、逮捕されていた女性がいた。 それを見ると心が苦しく涙が出ていた。 私もその一定数の人間(=発達障害)だったからだ。 実際に私も昼職と呼ばれる職場で働くことに 苦痛に感じ、夜職を選んだ。 夜職時代が精神的にも辛かったはずなのに また夜職に戻れたらとふと思うことがあ
私の幸せは「何か」の犠牲の上に成り立っている とふと思いに耽ていた。 一つ大切な何かを手に入れれば また大切な何かを失う。 私は色んなものを失い、手に入れた。 家族、仕事、友達・・・ もうその「何か」は私の元を去るべく して去ったのだと思うことも大事。 今の幸せを感じることが今のすべきことだろう。 miya,
病気の私には今日のライブが辛かった。 でも楽しくもあった。 やっぱり推ししか眼中になくて (しこしゃさんもガン見してたのは 内緒だよ)かっこよかった。 レンくんの前ではちいかわと化して 「ワァ‥」しか話さないけれど あげた指輪もまだ持っててよかった。 捨てられたかと思った。 最後にずっと手を離さずに 「元気でね」と言ってくれてありがと。 いまの私にはハードルが高いイベントだった。 時々とん服の薬を飲みながら誤魔化したりも した。 次にあなたに会えるのはいつだろう。
最近なにをするにも億劫で明日渡す手紙も 書けそうにないので公開お手紙を書きます。 私は何とか生きています。 でも毎日もやもやしながら日々を過ごして います。 何もできない私が嫌で、病気の私が嫌です。 正直に言ってしまえばちょいモザに興味を 昔よりも持てないくらい弱っています。 こんな風に「出来ない私」が当たり前すら あります。 自分を責めるたびにレンくんの 「ゆっくり治していこうね」と受話器の 向こうの泣いている私に優しく言ってくれた ことを思い出します。ありがと
私は社会的弱者だ。 ほかの人より出来ることが少ない。 まともに話すことも苦手。 まともに仕事をするのも苦手。 まともに仕事が出来たとしても 底辺の人が集まるような仕事しか 出来なかった。 幼少期私は親に何度も叱られ 時には暴言、裸で外に出され、 包丁が出る時もあった。 常に何かから逃げる日が幼少期から あり、何かあれば自分を責め続けた。 その結果ストレスが少しでもあると 逃げてしまう癖が出てしまった。 こんな私が憎くてたまらない。 いつまでこの苦しみが続くの