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瞬間的エッセイ6

手帳に書いてあった殴り書き。
これはきっと潜在意識にある私の本質だ。だけど、記憶にない。たぶん酔っ払ってたんだろうな。わりと本質捉えてるので恥を晒す。

『成長』ってなんだっけ。
根拠の無い自信や漠然とした理想の中で夢見ているだけなら幸せだ。でも、悲しいかな、人は成長する。成長していくおかげで、妄想という名の理想との距離感が少しずつ明らかになっていく。
『成長』は理想でぼやかされた現実視界にピントを合わせる。そのおかげで生活範囲の変化、日々関わる人たちが多様になる。”勝手に決めつけていた”理想的な世界の、”勝手に決めつけていた”枠組みの中で、”勝手に決めつけていた”自己欲求、という呪縛から、私自身が解き放たれる。

今よりも、もうちょっと若い時は悩める主要な部分が、『自分なんて/自分が/自分は/自分の・・・』ばかり。
その悩める実体が、私の欲望の中で規定された狭いカテゴリーの中で、良い、とか、悪い、とかが簡単に二元的に判別されるようなクソ狭い感覚で選別されてた。
その選別された悪態のようなガラタクはさらに悪循環して、繰り広げられた牢屋のような世界の中頑固に生きていた。
人生を歩行していくにつれ、感受される範囲も自然に広くなる。ほんの少ししかなかった経験カタログの中に、世界への対処法がライナップされていく。
増えていく出会いの中で、その対象に限定された信仰心のような依存が広がってしまうとまた、私の歴史のなかに新たな対処法がローンチされる。そこに関連される悩みの種もまた構築される。

『成長』は怖いよ。
だから、ピントを緩め、露出さえも下げて、その客体の存在を曖昧にするんだ。他人への関心に対して鈍感になることで自分を守るんだ。
社会的動物であるために、抑圧しなければいけない美感覚、欲求の潜在意識みたいなそれらを芸術という力を借りて正当化する悪知恵もまた人の小賢しいところだな・・・

まぁ、一般的には、どうしたって、一言で言えば『成長』というんだろーけど。
イチ音楽教育者として、これを柔軟に実践活用できるかと言えば、かなり難易度は高い。

なんでかって?人間は0歳だろうが、中2だらうが、大学生だろうが、30代だろうが、40代だろうが、どんな世代だろうが、相手に一つのテーマを伝え、一つの単純な問題を解決することにものすごい時間を要するのだということを、繰り返される戦争という事実が証明しているから。世界は常に成長しているはずなのになぜ?

課せられる修行がステージ毎に違うので、自分自身が、まるで、ゲームの世界の住人かのように錯覚される。ゲームのようにリセットボタンを押せればいいけど、そうはいかない。だから日々、緊張と後悔と、自己喪失感との闘いなんだよなー。

2023年末にこの酔っ払って書いたらしいメモという戒めを発出して、残り数ヶ月のこの年を過ごしたいと思う(🐇→🐉)

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