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空へ祈る

祈りなんて、願いごとと一緒。神様はどうせ、こちらのことなんて何も聞いてくれない。

そう思っていた。

とある牧師さんと出会うまでは。

⛪️🕯

小さい頃は、カトリックの幼稚園に通っていた。毎朝園内にある小さな教会へ行き、お祈りをする。

それが終わったら『お仕事』と呼ばれる活動をする。幼稚園で使うお茶碗を洗ったり、お花に水をあげたり。

お昼ご飯の前にもお祈りをする。
「神様、お父様、お母様、
美味しいお食事をありがとうございます。いただきます」

こんな内容だったと思う。

因みにカトリックのお祈りは、額→胸→左肩→右肩の順に右手で十字架を切る。そして「父と子と、精霊との御名によりて、アーメン」だ。

今の学校に入って初めてこれを言った時はクラス中爆笑されたなー。先生も苦笑してた。懐かし。

まだ言える。手の動かし方もできる。身体が覚えてるんだなあ。

⛪️🕯

その後は幼稚園を転園し、小学校も普通の、どこの宗派にも属さない園と学校へ通った。

転園した当初、まだ5歳の私が敬語を使うものだから園長先生は「なんでこんな小さいのに敬語使ってるの!?」とかなり驚いていたそうだ。

私は園で、みっちり敬語を仕込まれていたらしい。今はものすごく敬語が苦手だというのに。タイムマシンがあったら、その時の様子を見てみたいよ。

⛪️🕯

今の学校へ通うきっかけとなったのは、母の一言だ。

「こめつぶ、受験してみない?女子校だし、前通ってたキリスト教だし」

その一言で受験を決意した。

勉強(特に算数)というものは好きではなく、成績も悪かったが親と先生方のサポートのおかげでなんとか入れた。
(詳しい話は長くなるのでまたいつか)

その学校に入ってしばらくして、初めて教会へ行った時に言われた牧師さんの言葉を5年経った今でも未だに覚えている。

「祈りというのは、願いごとじゃないんですよ。例えばテストで100点を取れますようにとか、そういうのは願いです。それは神様の力によるものではなく、自分の努力次第ですからね」

「じゃあどういうことが祈りというのか。それは人のためのものです。友達が元気になりますようにとか、皆が幸せになりますようにとか。そういうのを祈りというんです。そういった祈りを、神様は御心によって叶えてくださるのです」

その時初めて、祈りと願いは全くの別物ということ、人のためのものなら神様は叶えてくれるということを知った。

その夜から私は毎晩、眠る前に祈りを捧げるようになった。今ではもう日課の1つになっている。

⛪️🕯

とここまで書いたが、私は熱心なキリスト教徒ではない。ただ、祈りに対する意識が以前よりも変わっただけだ。

さて、今夜も祈ろう。誰かのために。