KOTOBAslamjapan2020名古屋大会にエントリーしました~現実と表現の主客逆転について①~



https://www.kotobaslamjapan.com/

こちらの名古屋大会(12/20)にエントリーさせて頂きました。
ポエトリーリーディングです。
嵐のように各地の朗読会やイベントに参加していたあの2~3か月から、約1年ぶりに人前で詩を読む機会になりそうです。

そもそもどうして、ポエトリーリーディングの場から遠ざかっていたのかというと、去年の末に海外転勤が決まって、1月からその準備運動(?)のために沖縄に転勤になってたからでした。
詳しい経緯↓


早ければ3月、4月にでも赴任している予定だったのですが、ご存知の通り某感染症の影響で、海外渡航ができない状態に。なし崩し的に、海外赴任は延期に。
そのまま沖縄で待機の運びとなりました。てんやわんやだったので仕事はあった。
沖縄にいる間、いろいろなことを考えました。

仕事柄、4~6月の間、毎日のように失業者の話を聞いていました。
30分刻みで、1日10件はザラ。
対面は危険だということで、電話面接に切り替え。
経歴やスキルを全て口頭で聞き取る必要がある。
切り替えの時間を加味すると、人生を大体15分で聞き流していくことになった。
詳しい内容については書かない(というか書けない)けれど、有体に言って“超”しんどかった。
ズルズルと感情が引きずられていく。
「自分は仕事があってよかった」なんて切り離しを行う。
今度は罪悪感。
不思議にやりがいはあった。
緊張と、高揚と、徒労感。その繰り返し。

radwimpsの「Light the Light」を繰り返し聞いていた。

https://www.youtube.com/watch?v=BNpcNE2-c6g

まだ武漢で起こってる「他人事」だった時期に、主に中国で苦しんでいる人たちに向けて作られた曲。
緊急事態宣言が発令されて、アーティストたちがこぞって「自粛しよう」と呼びかける曲を出す流れの起こる前、一番に心に寄り添ってくれた曲だった。

(歌詞の一部を引用・和訳は自前)
That loneliness
Is all you have?
(孤独だけが今のあなたの全てですか?)

But you know what?
It's not your fault
(でも知っていますか? あなたのせいじゃないってこと)

それとこの頃、友達とLINE通話を繋ぎながらオンラインUNOをするのにハマっていた。
UNOのルールを知らない一人にドローカードを示して、「このカードのことを、我々はクソと読んでいます」「これが積み重なっていくと、とても大きいクソになります」と教え、ドローカードが場に出ると、「脱糞だ、脱糞」と言って騒いだりした(とても下品)。
ドローカードが次々にスタッキングされていく様子を指して「ハリー・ポッターとためこまれたクソ」と言ったら友達が涙を流して笑ってくれた(エクストリーム下品)。

不安定だった。
どれだけ安定を求めて企業が活動しても、経済活動は景気に左右されるものだ。
しかし、この波に揉まれるような感覚が、私に「世界と繋がっている」「社会に参加している」自覚を与えてくれているのも確かだった。

新庄耕の小説『狭小邸宅』の一節が思い出される。

「お前らは営業なんだ、売る以外に存在する意味なんかねぇんだっ。売れ、売って数字で自己表現しろっ。いいじゃねえかよっ、わかりやすいじゃねぇかよ、こんなにわかりやすく自分を表現できるなんて幸せじゃねえかよ、他の部署見てみろ、経理の奴らは自己表現できねぇんだ、可哀そうだろ、可哀そうじゃねえかよ。売るだけだ、売るだけでお前らは認められるんだっ、こんなわけのわからねぇ世の中でこんなにわかりやすいやり方で認められるなんて幸せじゃねぇかよ、最高に幸せじゃねぇかよ」

https://www.amazon.co.jp/dp/B00YM29Z0I/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1

不安定と引き換えに漫然とした安心感を所有していたとも言える。
「これでいいのか?」「このままではマズイ」という焦りを、危険な高揚が打ち消していく。

それから数か月経った後、私は上司に電話で「退職させて頂きたいです」と伝えていた。
いくつかのやり取りがあった後、12月末退職ということで話はまとまった。
この数か月間にどんな葛藤が合ったのか、どういう考えで決断したのか、ということは、そのことの結果が出てから語りたいと思う。

一応補足しておくと、大学を出てすぐに新卒入社して、約三年勤めた会社でした。
あの当時はとにかく自分にまともな社会生活が送れるのだろうという不安に覆われていて、内定をもらって人間の仮免許、3年継続してやっと人間試験に合格したような気持ちになれた。
実際その合格証明書のようなものは、「あのときこういうことだってできたのだから、きっと大丈夫」という風な自信に繋がって、一生役に立つものだろうから、結果的に無駄になることはないだろうと思う。

人生の節目に立って過去を振り返り肯定したくなったとき、繰り返し私の胸に去来する感覚があった。
「とはいえ、こういうのも書き物をするときに何かの糧にはなるものだよ」
ある知り合いはSNSに弱音を吐くのも、創作をするのも、自分の苦しみに意味があると思いたいからだと言っていた。
文筆を職業としない者が所謂趣味や生きがいで創作をする動機としては案外真っ当なものなのかもしれない。
しかし私の場合は、この感覚が多分人より行き過ぎていて、「やるか、否か」ということを考えるときにまで「まあ、悪手であったとしても、書くための経験にはなるし」と全ての選択肢を肯定する理由にしてしまっていた。
ある種の、主客逆転(現実─表現)が起こっていたのだと思う。
結果的に全てがなし崩し、「あえてそれを選ばない」ということをしない。
選択をしない人というのは、選択に応じて「だってあなたが自分で選んだんでしょ」という責任を負うのを恐れている人だ。
「だって他に選ぶ余地などなかった」という状況に却って安心し、振り返って環境のせい、他人のせいにするということを繰り返す。
私の場合は、創作だ。
私は私の責任を創作に求めている。
だから創作が私を救わないと、憎い。

http://japan-poets-club.d.dooo.jp/new_voice/PDF/3new_voice_poem.pdf

こちらの受賞の声で書かせて頂いた、「専ら自分が救われたくて書いていた」というのは恐らくそういうことだったのではないかと、今思い返して気づく。

恋人と別れちゃったときも創作に逃げたし。
小さな葬式に詰まってる詩の半分なんか、元恋人への呪詛で書かれているようにも読める。

https://kmsmrising.booth.pm/items/1741025

なお、この詩集は後々本人の手に渡る機会があり、目の前で読まれて死ぬかと思った。
複数のエピソードと情緒を組み合わせているので実際に何が起こったかなどと読み取ろうとするのは難しいと思います。
私もほとんど忘れちゃった。
でも火葬場で遺体が焼かれた後にも骨が残るみたいに詩が残っているから、いいよね。みたいな。

こういう「いいよね」な感覚は、人生がままならないときにはいつも、radwimpsの曲よりも寄り添ってくれた。

問題なのは、私と創作の関係は、決して一対一では完結しないということだ。
小説も、劇作も、読み手や観客がいて初めて成立する。
詩もそう。

私は私の創作を評価しない全ての人間が憎い。

つまり、そういうところに帰結してしまう。
最悪なのは、これがまだ、創作に関してこんなに努力したのに! というところから湧いてくる憎悪なら健全な感じがするが、そうではない。
この場合において創作は私が私の人生の投げやりを私以外の漠然とした世間的なものに求める言い訳に成り下がってしまう。

流石にやべーな、と思った。
つーか嫌だ。
もうちょっとちゃんと生きよう。
あるいは、もうちょっとちゃんと創作を、「表現」を、やろう。

ここまで書いておいてなんですがこのちょっとした意識の変革は仕事を辞めた理由みたいなところとは直接的には無関係です。
ただ、いい気づきだなと思ったので書き残しておこうと思いました。

いや、このエントリー、そんな動機で書き始めたんだっけ?
そうだ、「エントリー」の話だった。
つまり、「なぜ名古屋なのか」という話をすると、12月に仕事を辞めて、一旦地元に戻るからです。
そこからまた、東京に出る計画はありますが、その辺は後々。
とりあえずしばらくは、愛知です。
名古屋でこの手のイベントに参加したことがない(東京・千葉でしかない)のでドッキドキなのですが、うきうきと詩を書いています。
口語表現に立ち帰りたい/立ち返れそう。
これについての詳しい話はまた。

12月に入ったら有給消化期間に入るなどして少しは時間的余裕ができるはずなので、チューニングしていきたいですね。ツイキャス朗読、結局やってないし……。
一発目は友川カズキをやりたい、とだけ予告しておきます。
(読むのは自作詩だよ)

表現を発表する「場所」を用意してもらえるのは本当に有難いこと。
人生において産んでもらえるくらい有難いですね。
主催者様及び関係者様方に感謝。
良い大会の一部になれるように頑張ります。

1本の記事を書くのに大体2000~5000円ほどの参考文献を購入しているので完全に赤字です。助けてください。