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楽園 | ep.6 彼女

私はどうやら、昔から何かが違っていた。

大きな違和感、というよりは、たまに小さな引っかかりを感じることが幼い頃からあった。


例えば、

無性に空について興味があったり、

ぼーっとしているとなぜか知らない街の情景が頭に浮かんだり、

1度も聴いたことのないある曲をなぜか歌えたり、

あとは、満月の夜には必ず高熱を出したり。


これ以外にももっと、違和感を感じることはあったけれど、別に日常生活に支障をきたすわけでもないから、たいして気にしていなかった。


気にしていなかったけれど、

17歳になったばかりの満月の夜、毎度のように熱で寝込んでいたときに、私はその違和感の正体を知ることになった。

なぜかその日の夜中は、ふと目が覚めた。
喉がカラカラになっていて、水を飲もうとベッドから起き上がった。
すると、どこからともなく音楽が聴こえてきて、月明かりが強く光った。


結論から言うと、


私は、月の住人だった。

昔話で言う、かぐや姫といったところだろうか。


その夜中、空から降りてきた月の使い人が、驚いて声を失った私に向かってこう言った。

"あなたは月の住人だ。月の世界で過ちを犯した罰として、この地へ送られた。その償いもあと三年で終わる。この地に降り立って、二十年の歳月が経った時、また迎えに来る。"と。


もちろん、信じられるわけはなかった。
けれど私はその夜眠れなかった。
朝は来たけれど、世界はいつも通りだった。
夢だったということにはできなかった。
だから私は、あの夜の出来事を受け入れるしかなかった。

数日間は、あの夜に見た信じられない光景がグルグルと頭を回っていたけれど、
しばらく経つと、事の重大さに気づき始めた。

つまり私はあと3年しか、ここに居られないということだ。
長く続くと思っていた生活に、突然終止符を打たれたようなものだった。

それから私は、生きている心地がしなかった。
どうやって過ごせばいいか、分からなかった。

けれど、時間は進む。
日常生活は続けるしかなかった。




その時に出会ったのが彼だった。

17歳のあの夜を経験してから無気力状態になり、高校を卒業しても、大学には行かなかった。

それでも生きるためになんとか始めた蕎麦屋のバイト。そこに、彼は現れた。


彼はなぜか突然、週に2回ほど蕎麦を食べに来るようになった。そして毎回、仕事中の私を捕まえてはベラベラと自分のことを話す。

私には意味が分からなかった。何がしたいんだろう、と思っていた。

けれどある時、彼の
「僕は何でもできるんだ」とおちゃらけて笑ったその顔がどうにも心に引っかかって、離れなくなってしまった。

それから蕎麦屋以外でも会うようになったけれど、彼が、思ったよりも私に興味のないことに気がついた。そっけない素振りが、それを物語っていた。

そして、自分はあと3年で、この地から居なくなるという事実をしっかりと噛み締めなければならなかった。だから、私は彼と長く一緒に居てはいけないと分かっていた。

けれど、どうしても、
私は彼といつまでも居たかった。

会っては駄目だと分かっていても、
会わないのは無理だった。

だから、次に会うのを最後にしようと思った。
けじめをつけて、これを最後にする。


最後の日は、彼の家の近くでハンバーグ弁当をテイクアウトした。

弁当を向かい合って食べている時に、私はどうしようもなく泣きそうになってしまった。ばれないように俯きながら弁当を食べていた。

そして、彼の気持ちを確かめるためにこう言った。

「君にとって私は、このグリンピースなんだろうね。」

彼はデミグラスソースのかかったハンバーグとご飯を口に詰め込みながら、ふっと笑っただけだった。

それを聞いて、私は、
グリンピースをぼーっと見つめながら、
ああ、終わりなんだな、と思った。




その夜も、私は眠ることができなかった。

夜中に、たまらなくなって泣いた。

風の強い夜だった。
静かに泣いていたつもりだったけれど、彼の猫は気がついたようで、私の膝の上に乗ってニャアと鳴いた。
私は猫に、ありがとうね、と言って、背中を大きく撫でた。


そのあとに猫は、今度は眠っている彼の方に行って、ぺろぺろと彼の足を舐めた。
まるで私のために起こしてくれているみたいだった。

彼は気がついたのか、少しだけ目を覚ました。

泣いているのを見られたくなくて、目を拭った。


どうせ朝には、忘れていると思った。

夜中の過ちは、外の強い風が、全て消し去ってくれると思った。

だから私はこう言った。

「今夜がずっと続けばいいのに。

君は何でもできるんでしょ。

じゃあお願い、時間を止めて。」




次の日の朝早く、私は彼の部屋から出た。

猫が二回、ニャアと鳴いて私の手を甘噛みした。


玄関のドアを開けて外に出ると、空はピンク色で、

大きな満月が、こちらを見ているようだった。


−fin−

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