忘れてしまわぬように

ある日、近所のマクドナルドで改装工事をしていた。
家のポストにそのことを知らせるチラシも入っていた。リニューアルした内装のイメージ写真がついていて、機能的ですっきりしたレイアウトになるようだった。
僕は京都に住み始めて八年になる。その間にいろんな店だとか場所が変わっていくのをみた。
ラーメン屋、スーパー、コンビニ、本屋。一度も入ることなく「テナント募集」の貼紙がされていたところもあれば、それなりに通っていたところもあった。各々の場所にはもちろんそこで働いている人たちがいた。
よく憶えているのは一度だけ行ったラーメン屋だ。
全然流行っていなかった店は、昔気質な、しかし穏やかな笑顔の親父さんが切り盛りしていた。店内にひとりだった僕は、親父さんと一緒にテレビで野球を観て、話をした。
後日、早朝にゴミ袋を両手に抱えてエプロンを着けたまま歩く、くたびれた親父さんの背中を見た。
店はほどなくして潰れた。もちろん親父さんには会っていない。彼はいまどこで何をしているのだろうか。そしてコンビニや本屋で働いていたあの人たちは?

先述のマクドナルドにも、京都に移り住んでから何度となく通った。
この店舗、アニメ『けいおん!』のいわゆる"聖地"として登場した場所だった。
放映当時高校生だった僕は、多くの人がそうであったように熱中した。三年生の時に受験する大学の見学を兼ねて巡った"聖地"にそれは感動したものだ。
もちろん行ったからといって何かあるわけではないのだが、当時はその場所に赴くだけで昂揚した緊張を味わっていた。
京都に来た後の、金のない学生生活を始めてからは、毎週のようにそこの二階で本を読むという休日を送っていた。おそらくは開店当時から変わっていないであろうオレンジ色のシングルソファやタイル張りの床が落ち着いた雰囲気で、僕は好きだった。
けれど、先述のとおりそういったものたちも、改装によって消えてしまっただろう。
"聖地"は他にも、喫茶とか駅とか川とか、数えればきりがないくらいあるし、残っているものも多い。ただ、なくなったものも確かにある。
たとえば北山通にかかる橋の西側にあった立派なモミの木。映画版の印象的なラストシーンで、夕暮を背に立っていた木も四年ほど前に切り倒され、いまはつまらない駐車場になっている。

ある日の仕事帰り、花を買った。白い花束だ。花束を持って街を歩くなんて初めてだった。
京阪六地蔵駅で降りると、平日の昼前なのにたくさんの人がいた。この駅で降りるのも初めてのことだ。
放火のあった京都アニメーション第一スタジオ近くに設置された献花台には、いくつもの花束や色紙が置かれていた。献花台の周りには何人ものマスコミがいた。ひとりの記者が質問をしてきたので答えると、後から何人も群がってきた。僕が質問の答えに詰まるとNHKのカメラマンは舌打ちをした。とても暑い日だった。

怒りも、センチメンタルな感情も、僕はいらないと思う。
犯人がなんていう名前でどんな顔でどんな人間かなんて、そんなことを知って何になる? その後にやってくる何万もの怒りが引き起こす醜さと悲劇が、いったい何になる? 11年前の、秋葉原の加藤智大の家族に起こったことを僕は忘れない。
そして、センチメンタルな感情とその表出は、常に過去のものとしてある。先述の僕の思い出のように。その感情をこの場所にぶつけるなんて、そんな身勝手なことはない。なぜなら、理不尽に生を奪われた人、そしてその家族や周りの人々つまり当事者にとって「過去」など存在し得ないからだ。
だから、僕が言えるのは、ありきたりなことだが、亡くなった方々に祈りを捧げ、そして自分ができる限りの支援をしようということで、そして僕たちがするべきはその「ありきたり」なことを続けるということである。


京都アニメーション ご支援の御礼とご案内
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