【映画】ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい

※ネタバレ

あらすじと監督・原作者インタビュー。彼らの趣旨とは少し異なるけど、映画を観て感じたことをどうしても言葉に残しておきたかった。

大画面にたくさんのぬいぐるみなんてさぞ幸せだろうと前情報なしに観に行ったけど、言語化できないほどたくさんの感情を引きずり出されて苦しかった。正直びっくりした。そしてあまりにも刺さってしまった。
特に私が刺さったのは七森や麦戸たち「しゃべる人」ではなく、ぬいサーで「しゃべる人」を見守るような立ち位置に居る唯一ぬいぐるみとしゃべらないし、一見繊細すぎずに世の中にうまく順応していそうな白城の存在だった。

ぬいぐるみという存在が七森たちのひとつの救いであるように、白城も彼らの救いのひとつとして描かれている。
ただその一方で、白城もたくさんのことに気がつき繊細でやさしく、傷ついたりつらいと思うことがある「全然大丈夫じゃない」人である描写もある。 

七森の自分勝手とも言える言動に「本当に私のこと好きなの~?」「麦戸ちゃんじゃないんだって思った」「私のこと全然好きじゃないって思ったし(中略)でもうれしかった」と、白城自身で設定している「キャラ」としての対応しながらも、時折表出する「白城ゆい」の優しさと虚しさを同時に感じていた。
特に階段で七森と言い合うシーンでは白城ゆいの「七森とはいずれこういう言い合いになると思ってた」「嫌な人になるとか、そういうこと言わないで」と感情を見せるところがあって、白城だって繊細でやさしくて、きちんと痛みを感じながら生きている。

七森や麦戸からすれば、白城も痛みを感じなくて済む場所にいけばいいのに、となるかもしれないけれど、白城はそんな現実がどこにもないことを知っている。七森や麦戸からは真綿のようなぬいサーですら、白城は「そんなにやさしくなくてもいいのに」と彼らや彼らをを悩ませるものに心を痛めることもあるだろう。白城も、痛みを感じながら生きている。

否定も肯定もせずただそこにいる白城は、ぬいぐるみ以外の彼らの救いではあるけれど、そんな白城の救いとして、「傷ついたことを受け流したり自ら傷つきにいったということにする」方法以外のものがあってもいいんじゃないか、でないとやるせなさすぎる。
作中では、ぬいぐるみの皆はケアをされている場面がある。白城にもあってもいいんじゃないか。

そんなことを考えていると、七森と白城のデートシーンで「社会はそんなもんでしょ」「だとしても声をあげることは必要だと思う」というふたりのやり取りが浮かんだ。
このシーン、階段のシーン、飲み会のシーンどの場面でも七森はそんなのおかしいと声をあげている。現代社会では理想だとか、繊細すぎるとか、考えすぎとか言われるようなことに対して、七森はつい真正面から傷ついて真摯に向かってきちんと落ち込んでいる。七森だけでなく、「しゃべる」ぬいサーの皆はそういう生き方ができる。

そこまで考えなくても、そこまで真正面からぶつかっていったら生きづらいでしょと思いつつも、白城が受け流してきた傷を肯定されているような気持ちにもなるし、七森のように声をあげてくれる存在がいるだけでも救いに感じる。
だから白城はしゃべらないままぬいサーにいることを最後に強く言葉にしたのかもしれない。

文化祭で使ったうさぎの着ぐるみに関しても、あれは白城自身だとも捉えられるんじゃないか。
彼女は元々ぬいぐるみを作るサークルだと思って見学に来たし、もう一つのサークルでは一回生なのに率先してとあるように、ぬいぐるみそのものを愛おしく思う気持ちはそれなりに強かったのではないか。

ぬいサーは作中でぬいぐるみたちにはネガティブ、ポジティブ様々な感情を吐露している。こうして見ると逆に話しかけられているみたいだという台詞の通り、ぬいぐるみたちは各々の感情の鏡で象徴なのではないか。
つまりあのうさぎの着ぐるみは、白城のネガティブもポジティブも含んだ、白城ゆいの感情自身だったように思う。

そんな着ぐるみを、白城はぬいサーの仲間たちと洗う。手伝うよ、重いね、太陽を見せてあげようか、乾いたら治してあげようねそんな言葉を交わしながら着ぐるみはやさしく元気になっていく。

声をあげてくれる七森や、ひたすら寄り添ってくれる麦戸たち。
白城は「ぬいサーは避難所のようなもの」と言っていたし、見守る立ち位置としての描写がわかりやすかったけれど、私が観ながら感じているよりずっと、白城はぬいサーに救われていたし、今後もっとぬいサーに救われるのかもしれない。

世間では、七森たちのように痛みと真正面に向き合いきれないけれど、とはいえ白城ほど痛みを受け流し切れない人が大半じゃないかなと思う。
七森たち「しゃべる人」だけでなく、白城(飲み会での旧友)のような人もまとめてもっと救いがあればいいのに。もしかしたら、そう言った気持ちを話し合う機会が増えるだけで、それが救いになるのかもしれない。着地こそしないけれど、このまま生きてみようと思った映画だった。

七森と麦戸がした対話が白城や世間に少しでも広がって、「全然大丈夫じゃない」人たちが大丈夫じゃなくても生きていけて、「大丈夫じゃないけど、でもね」と話し合うことができる機会が増えたらいい。
そして白城や、白城のように生きていけている人たちも、もっと自分にやさしくなれるよう過ごしていてくれたらうれしい。

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