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忘れられないために、楽曲クレジットに本名を載せた。

大学1年生のとき、初めて「SNS」というものに触れた。

いや、初めてではないか。初めては浪人生のときに登録したmixiやアメーバピグだった。でもそのときは「SNSをやっている」という自覚はなくて。

だから「初めてのSNS」は大学1年生、としておく。

ともかく、大学1年生のときにFacebookに登録した。

「人と人との縁は物理的な距離が離れてしまうと希薄になる」という、自分の中の通説に反することが、そこでは起こっていた。

だから、「あの頃の友達とまた繋がれるのでは?」と胸を踊らせ、思い出せる限り片っ端から、友達申請を送りまくった。

いつも遊んでいた友達から、片手で数えるくらいしか話したことないクラスメイトまで。見つけた友達の「友達欄」からさらに友達を探った。

それを、4校分。

僕の父親はいわゆる「転勤族」で、短いと1年スパンで全国を異動しまわっていた。

だから、僕の「母校」といえる小学校は4つある。毎回、友達の名前、先生の名前、校歌を覚え直さなければならないのが大変だったっけ。

最後にいた小学校は福島県郡山市にあり、そこで高校までは過ごした。だからか、福島のときの友達からはちらほらと友達申請が承認された。

しかし、それより前の友達からは、ほとんど承認がこなかった。

そりゃそうだ。彼らには彼らの人生があり、所属していたコミュニティがあり。僕はその一瞬、すれ違ったに過ぎない。

でも、「忘れられてしまったんだ」という感覚は、なかなかこたえた。

***

しかし身勝手な話で、僕は人の名前と顔を覚えるのがあまり得意ではない。

だからコロナ禍が収まってきて、久しぶりに会った知り合いの名前が出てこずに焦ることがしばしばある。

人の縁ってそんなもの。物理的な距離や接触頻度が少なくなれば、だんだんと忘れる。

そう思っていた。

でも、中にはそうでない人もいて。

中学校で所属していた部活の恩師が、最近定年退職された。お祝いの会に招待されたが、迷った挙げ句僕は「行かない」という結論を出した。

「同窓会の案内状 欠席に丸をつけた」

ふと槇原敬之の『遠く遠く』のワンフレーズが脳裏に浮かぶ。

当時の仲間に会いたい気持ちがないわけではない。でも、必ずしもポジティブな思い出ばかりではないからこそ、行くのをためらってしまった。

それに、「忘れられた」ことや、こっちが「忘れてしまった」ことに向き合うのが、なんだか怖かった。

後から聞いた話だが、少なくとも恩師は、僕のことを覚えてくれていて、「来てくれるのかな」と気にかけていたらしい。

その先生は、僕がいた中学校の合唱部を何度も全国大会に導いた、とんでもなくすごい先生だった。音楽的な知識や感性に秀でているのはもちろん、まだ声変わりが終わったばかりの中学生でも大人顔負けの演奏ができるようになるくらい、一人ひとりのポテンシャルを引き出すことに長けていた。

めちゃくちゃ厳しく、正直怖かったのだが、部員への愛に溢れており、音楽の面白さ、歌の奥深さを僕に教えてくれた人だった。

そんな偉大な先生が、僕のことを覚えてくれていたことが、純粋に嬉しかった。

人は自分のことなんか忘れてしまっているだろうと思っていたが、覚えてくれているひとはきっと覚えてくれている。

そう希望を持つには十分すぎる出来事だった。

***

このnoteを書いている翌日、2024年9月22日、秋分の日。

僕が編曲を手掛けた楽曲が、初めてサブスクでリリースされる。

もし僕の名を誰かが思い出したとき、検索してくれたらこの曲にたどり着くように、クレジットには本名を記載してもらった。

もちろん、本当にそんな人がいるかどうかはわからない。

ただ、そういった形のなく見えない曖昧なものに、人はすがらずにはいられないのだと思う。

あの頃の僕を知っている誰かに、この楽曲が届きますように。

そんな祈りを込めて。

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