鬼一口note

鬼一口(おにひとくち)

猟師の話

 十七日の夜だったから、そりゃあ月が明るかったよ。地面に転がった石ころまで見えちまうくらいにさ。もっと暗ければ、俺もこうはならずに済んだかな。

 何ってお前さん、鬼だよ。

 あの晩にな、俺は鬼を見ちまったのさ。ああ、お伽噺だと思って莫迦にしているんだろう。無理もねえ、誰だってあんな恐えもんを信じたくないもんな。

 昼間に獲った猪を売りに行くのに、ひとりで歩いているところだった。なに、年端もいかねえ小娘でもあるめえし、猪肉を別にすれば、懐も素寒貧よ。盗られるもんもありゃしねえ。こっちが賊みてえなもんだな。

 それで、そこの家の角よ。道から飛び出してきた奴がいたんだ。ぶつかっておいて謝りもしねえから、頭にきて怒鳴りつけてやった。

 奴の肌はな、猩々(しょうじょう)みてえに真っ赤だった。喰った人間の返り血だったのかもな。そんで口には、ほっそりした手首を咥えていやがった。間違いねえ、ありゃあまだ若い娘の手首さね。羽織ってた襤褸(ぼろ)に血が沁みて、濡れそぼったようになってたよ。あの量だ、力任せに喰いちぎったんだろう。鬼は俺を睨めつけると、走って何処かへ行っちまった。

 なんだ、人間だったかもしれねえってか。あんなことが、人間にできるはずねえ。考えてもみろ、生魚だって臭くてかなわねえってのに、千切れた人間の手首を咥えていられるか? そんなことはできねえ、できるはずがねえ。ありゃあ、鬼だよ。

残された女の話

 ええ、もうひとりは具合が悪くて、あれからずっと伏せっているのです。無理もございません。喰べられてしまった女子(おなご)とは、特別に仲がよろしかったものですから。

 そうです、あの子は鬼に喰べられてしまったのです。

 わかっています。貴方様も、見間違いだとお思いになっていらっしゃるのでしょう。若い女子がお付きの者も伴わずに夜道を歩くなど、愚かなことをするからこうなるのだと仰りたいのでしょう。

 すみません、口が過ぎました。わたくしも気が滅入っておりまして、あの晩からというもの、誰彼かまわずに当たり散らしたくなるのでございます。どうか、非礼をお許しください。

 ええ、あの晩は、それはそれは見事な満月でございました。景色の他に思い出すことといえば、衣(きぬ)の色くらいでしょうか。わたくしは確か、菊の重(かさね)を纏っていたように思います。表の白が、月の光を紡いで織られたように感ぜられて、よく似合っていると褒められたものですから。こうなるとわかっていたのなら、あの子の重の色も褒めておくのでした。

 それで、ああ、あのときの話でございますね。わたくしどもは、宴(えん)の松原を内裏(だいり)の方に向かって歩いておりました。獣の声ひとつない、静かな夜でありました。ただ、月だけがさやさやと、わたくしどもを見おろしていたのです。

 しばらく行くと、松の木の下に、殿方がひとり、佇んでおられるのが見えました。夜ではありますが、先刻も申し上げましたように、ひどく月の明るい晩であったものですから、篝火(かがりび)の近くにいるのと同じほどに、あたりを見ることができたのでございます。

 ふと、わたくしどもは足を止めました。殿方のお顔が、生まれてこの方、ついぞお目にかかったことのないほどに麗しかったからでございます。

 涼しげな眼と、白くきめ細やかな玉の肌。黒々とした、柳にも似たしなやかな髪。男らしさはもちろんのこと、その匂いたつような色香に惹かれてしまったのです。小娘とはなんと単純なことかとお思いでしょうが、この頃の齢の女子はみな、一度でよいから己だけの光の君に逢いたいと願うものなのです。

 しかし、着物はどう見ても、貴族の方のそれではございませんでした。盗人とまではいきませんが、薄汚れた黒い襤褸、とでもいうのでしょうか。墨をかぶったように、染みになっているところもございました。だからこそ、お顔の方がよけいに麗しく見えたのかもしれませんね。

 いくら見目よいとはいえ、下賤の者であれば困ります。そそくさと通り過ぎようとしたとき、殿方があの子を呼び止めたのでございます。

 もうし、という、鈴をころがすようなお声でありました。わたくしでも、もうひとりの女子でもなく、あの子です。抗う様子もなく、殿方に引かれるまま、松の木陰でなにやら言葉を交わしはじめたのです。羨ましい心持ちもいたしましたが、わたくしどもは、すぐに終わるであろうと、すこしばかり離れたところで待っておりました。やがて話し声も聞こえなくなり、あの子を迎えに行くと、そこには、誰もいなかったのです。ほんのすこし離れただけであったはずなのに、女子どころか、殿方すらあとかたもなくなっているのです。ただ、月の光が松の影をうつしだしている──そう感じたのでございます。

 松の木陰に目をやると、そこには手首がおちていました。白くて細い女子の手が、血にまみれておちているのでございます。そして、ああ、近くには足首がありました。わたくしどもは悲鳴を上げて、傍にあった詰所(つめしょ)の男衆に、すがりつくようにして助けを求めたのでございます。

 鬼です、鬼があの子を一口に喰らってしまったのに相違ございません。あのように見目麗しい殿方など、この世におられるはずがないのですから。あの子は、松の木陰に引きずりこまれて、頭からばりばりと喰べられてしまったのです。次は伏せっているもうひとりの女子を、最後にはわたくしを喰らいにくるでしょう。ああ、鬼が来る。鬼がそこまで来ている。喰べられてしまう、ああ、誰か──。

詰所の男の話

 夜に娘さんたちが飛びこんで来たときは、驚きましたよ。鬼だ鬼だとうわ言を繰り返すばかりで、何がなんだかわからなかったものですから。あまつさえ、そのうちのおひとりは気を失ってしまうじゃありませんか。まあ、松原まで駆けつけたときとは比べものになりゃあしませんがね。

 ええ、大変なありさまでしたよ。恥ずかしながら、幾度か叫び声も上げたかもしれません。血が敷石に染みていて、まるでちいさな地獄を目の当たりにしているようでした。その中に、ええ、しなやかな手首と足首が、ぽつんと転がっていましてね、しかし、あれはね。娘さんたちには悪いが、ありゃあ刀傷ですよ、旦那。

盗人の話

 鬼だって? はァ、お偉いさんの間では、また物騒なもんが噂になってるんだねェ。

 変わったことなんてありゃしないよ。毎日同じことの繰りかえしさァ。他人様の金を盗んでは、牛の糞にまみれた地面で眠るだけだ。あたしらも好きでやってるわけじゃない、やめたらこっちがおまんま食いっぱぐれちまう。

 ああ、そういやァ近頃、このあたりで見かける奴がいなくなったなァ。盗人仲間ってわけじゃねェんだが、あたしより汚ねェ襤褸着てる野郎でしてね、それにひきかえ、女みてェな面してたんですよ。はァ、仕草もなんだかなよなよしててねェ。何処に行ったかは知ったこっちゃねェが、そうさね、あんだけの面してたら、高貴な身分の女とでも一緒になって逃げられるんじゃないのかねェ。

貧しい夫婦の話

 山菜取りになど行かせなければよかったのでございます。夜道を若い娘が歩くのは危ないもので、夕方に家を出れば、帰ってくるのが夜になるなどということは、畜生ですら身に沁みてわかっているでしょうに。

 とうとうどこにも嫁がぬまま、こんな姿になって帰ってきてしまって。手足のない娘など、三途の川を越えても貰い手が見つからないに決まっております。すべて、わたくしどもの不届きにございます。身体の方は返ってきましたが、手足だけはまだ、見つかっていないのです。ええ、気狂いにでも襲われたか、あるいは──あるいは、鬼にでも喰べられてしまったのかもしれません。



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『鬼一口』 著・竹見名央 / 絵・えりな

担当編集:木村 島崎

編集・日本大学芸術学部文芸学科所属 出版サークルKMIT

※この作品は読み切りです

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