Essent“I”al ―ショートショート―

 

 きゃらんころん、とベルを鳴らして彼女は店にやってきた。

 彼女が僕の「恋人」だってことはひと目で気が付いた。高そうなドレスに身を包む彼女は見るからに品が良く、まるで絵の中の美女だった。

 彼女は僕の座る卓まで歩くと「安藤愛でございます」と、一礼した。 

「あ、ああ、僕は山田幸太だよ」

 高級服に身を包む者共のやわらかな談話が、ピアノの旋律に溶ける。店の雰囲気に負けないようにと、僕もいつになく背筋を伸ばす。

 テーブルを挟んだ向こう側に彼女は座る。

「えっと、愛ちゃん、でいいかな?」
「ええ、山田さまのお好きなように」

 愛ちゃんはその美しい口でもって、美しい言葉を吐く。美しい。すべてが美しい。愛ちゃんは神の手で整えられたような存在だ。

「本日のご用件は、山田さまのご両親と挨拶をする──とのことでしたが……」

「ああ、うん、なんか渋滞に引っかかったって。先に食べてていいってさ」

「はい、わかりました。ではそのように山田さまのプランを変更いたしますね」

 と、彼女は完璧な笑顔で言う。

「あのさ、その『山田さま』ってやめない?」 

「え……ああ、そうですね。山田さまのご両親も『山田さま』ですね。では、『幸太さま』とお呼びすればよろしいでしょうか」「ううん、そういうことじゃなくって、なんだか余所余所しくて恥ずかしいよ……」

「では『幸太くん』でよろしいでしょうか」 

 両親はしばしば「早く彼女を作れば」と言った。孫の顔が見たいとのたまう彼らは、こんな一人息子にしか望みを託す相手がいない。

 彼女を紹介するよ──見栄を張って言った一言だったが、思えば僕にはそんな相手などいなかった。僕の言葉を聞くなり顔に花を咲かせる両親。

(やばい……)

 汗ばむ背中と跳ねる心臓。自分の一言がどれだけ重い意味を持つのか、少しずつ理解した。

 彼女ができたこともない僕が最初に思いついたことといえば、知り合いの女性に彼女の振りをしてもらうことだったが、当然のように中指を立てられ心が折れた。諦めて両親へと撤回の電話をしようとすると見栄っ張りな僕が顔を出し、なぜか「恋人は超美人」と嘘を重ねてしまった。流れる汗は滝のよう。どうやら僕は率先して悪い状況に身を置きたがるようで、そんな己を幾度となく呪った。

 そんなとき見つけた広告。

『あなたの理想の恋人と理想のデートを』

 そして今日、一日だけの契約をした。

 かりそめの恋人、愛ちゃんを僕の「恋人」として両親に紹介する。なけなしの給料は、愛ちゃんと高級レストランで霧散した。

 やがて店員が料理を持ってくる。 

「じゃあ愛ちゃん、お料理いただこうか」 

 とは言え、僕はナイフとフォークの使い方がわからない。そこで、愛ちゃんがいかにして食べるのかを見ようと顔を上げると、

「ちょ、愛ちゃんなにしてんの!?」
「え?」

 愛ちゃんは、電子レンジのようにお腹を開き、そこへ料理を流し込んでいた。見た目よく作られた料理が生ゴミのように腹の空洞に収められる。

 このとき、愛ちゃんがロボットであることを思い出したのだった。

 恋人ロボット――それが愛ちゃんなのだ。

 周りの客も目を剥いて唖然とする。針のような視線が全身に刺さる。唯一事態の深刻さを認識していないのは、愛ちゃん本人だった。

「ど、どうしてそんなことをするのさ」

 すると彼女はさも当然のように「経口摂取は設計上、不可能ですので」と言う。

「だ、だったら無理して食べないでよ! みんなに変に思われちゃうじゃん!」

 まるで悲鳴だった。僕の声もまた、人の目を引きつけて、顔全体が熱くなる。しかし愛ちゃんは僕の言葉に首を傾げると、「幸太くんは、どうしてそんなに見た目を大事にするのですか?」と言った。

「こんな高級レストランで私のような恋人ロボットを連れ、おまけに彼女がいると両親に偽る――幸太くんは、何がしたいのでしょう」 

 それは、咎めるでも怒るでもない、純粋な疑問だった。嘘偽りなく、純粋な。

「みじめでも、情けなくても、弱くても、それでいいじゃないですか。何しろ、幸太くんはロボットではなく人間です。完璧じゃなくて良いんです」

 彼女は羨むような目をしていた。彼女の美しさもまた「作られたもの」なのだから。

 ――僕は、見栄を張る必要なんてないんだ。

 スマホを取りだして、僕は電話した。

「ま……ママ! ごめん、僕、嘘ついてた! 恋人なんていないんだ! ごめんなさい!」

 電話の向こうでママは春風のように微笑んでいた。

 ――ママには、全部お見通しだった。

 この日、みじめで情けなくて弱い僕は、見栄っ張りなもう一人の僕に別れを告げた。


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