灰色のクレイ ―ショートショート―

お題「愛し愛されて愛になる」
(お題提供者 ならざきむつろ さま)


 不定形で弾力があり、さながら粘土のようなそれを、私は「クレイ」と名付けた。

 その表面は不透明な灰色で、加えて細かな粒が混じっているため、遠目からはただの丸い石のように見えるかも知れない。事実、私がこれを発見したときは上記の理由からか何も気づかず、通り過ぎようとしていた。

 しかし、それは動いたのだ。

「粘土のよう」と形容したが、それはゲームに出てくるスライムのようだった。

 生物なのだ。

 これは生きている。

 むろん私は、疑った。泥が流れているのか、はたまた不法投棄された化学物質か――いろいろと勘ぐってみたものの、これは自らの意思を持って動いていた。

 クレイは2匹いた。

 1匹が片方へ近づくと、もう1匹がそれを受け入れるかのように凹字形になり、そしてそれへ先の1匹が吸い込まれ――2匹は1匹になった。そこに継ぎ目などなく、もともと1匹であったかのように。しかしそのクレイは、2匹分の体積を有しているように思われた。

 そのとき、私を包んだのは恐怖ではなく好奇心だった。

 私は買い物袋の中身を捨てて、そっとそれを包んだ。袋越しの触感は、手のひらに吸い付くようで、ひんやりとしていた。質量は3kgほど。そのときのクレイは両手に乗るほどの大きさだった。

 その後、クレイを連れて帰宅した私は、空いている水槽にクレイを入れ、外から観察していた。クレイは気まぐれにどろどろと移動してみるものの、やがて動かなくなった。眠ったのかもしれない。

 これが本当に生物であれば、新発見とも言えるだろう。しかしそれは私の手からクレイが離れることも意味していた。クレイをどうするべきか、私はまだ決めかねていた。

 そして明くる朝、私は水槽を見て驚愕した。

 水槽の中には5匹のクレイがいたのだ。個体によってサイズがバラバラであるものの、どれも前日のクレイよりは小さく、それらを合わせるとちょうど前日のクレイの大きさであるように思われた。

 私は3時間かけて、それらを観察した。

 1匹のクレイ――これをクレイAとしよう――がクレイBに近づく。昨日のように1匹になる。また、別のクレイCがクレイDに近づき、1匹になる。

 クレイには目や口、耳に類する器官は見当たらない。それだというのにどうして他の個体を探し当てることができるのだろう。灰色のこの身体には、もしかすると磁性のようなものがあるのかもしれない。

 また、この一連の行為は捕食なのであろうか。凹字形に変化する個体が、近づいてくる個体を捕食しているようにも思われるが、しかし近づいている個体は捕食されんと近づいているようにも見える。

 私はひとつの好奇心から、たった1匹だけ取り残されたクレイEに触れてみた。触れても害はないようだ。クレイEもまたひんやりとしていた。

 クレイEをつまむと、私はクレイB'に近づけてみた。しかしクレイB'にはなんら変化はない。2匹が接触しても、何も起こらなかった。諦めてクレイEを置くと、彼はどろどろと移動し、全く別のクレイD'へと近づき、彼らはひとつになった。そしてその後、B'とD''もひとつになった。もとのクレイになったのだ。

 こうして観察していて、分かったことがいくつかあった。

 まず第一に、この捕食のような行為(融合と名付けよう)は、大きな個体が小さな個体を吸収するとは限らないことだ。小さな個体が凹字形になることもあれば、逆もある。また、同時に融合するときは、1対1でのみ行われるということだ。計3匹以上での融合は起こらない(観測されなかった)。

 次に、融合を繰り返して1匹のクレイのみになると、粘土を千切るかのようにいくつかに分裂する習性があることもわかった。厳密に何匹とは決まっておらず、多いときには20数匹にも分かれた。こうして分かれたクレイたちであるが、やがて融合を始める。そして1匹のみになり、また分裂する。

 しかしながら、融合、分裂ともに、クレイ全体の総質量は変化しないことがわかった。

 クレイの行うことといえば、この融合と分裂のみである。

 彼らのエネルギー源は何か、と探ったことがある。たとえば光――水槽全体を暗室にし、しばらく放置したものの、彼らは融合と分裂を繰り返した。たとえば空気――密閉した容器に彼らを入れても変化はない。他にも、クレイの体内に大量のエネルギーを貯蔵しているのではないかという仮説や、循環型エネルギーを用いているという仮説も、すべて否定された。

 甚だ不可思議だが、クレイは融合と分裂のみを目的とする生物だということだ。

 クレイには雌雄というものが存在していない。クレイの融合を、生物間における生殖行為、分裂を出産と捉えてみるものの、やはりちぐはぐである。まるで地球に住むために存在しているのではないようだ。

 このとき、すでに私の中ではクレイを手放すという選択肢が消えていた。

 そして私は、最後にクレイの死というものについて考えた。クレイはエネルギー不足で死に至ることはない。であれば、どのように死ぬのか。

 始めに、分裂しているひとつの固体にナイフを突き立ててみた。出血はなく、ただそこに小さな穴が空いたのみであった。その穴もナイフを抜くと共にふさがった。次にクレイを人為的に分裂させてみた。つまりは、ナイフで切り裂いたのだ。しかし、1匹のクレイが2匹になるだけであった。

 私は降参した。クレイは明らかに地球上の生物とは異なった性質を持ちすぎている。似ていると言えば、アメーバであろうか。しかしアメーバもエネルギーを必要としており、人為的な分裂には堪えられない。

 だからだろうか、私は気まぐれに、クレイの1匹に悪戯をした。

 なんていうこともない。いくつも分かれているうちの1匹に、透明の蓋をしたのだ。別のクレイへと融合しに向かっている個体だった。ガチャガチャのカプセルをかぶせると、閉じ込められたその個体は、見えない壁にぶつかり、もだえた。

 彼らが空気を必要としないことを知っていた私は、ほんの少し、眉をひそめた。

 彼のすぐ近くでは、凹字形で待ち構えているクレイがいる。しかしカプセルの中の個体はそこへはたどり着けないのだ。カプセルの中で右往左往し、また壁にぶつかって、もだえて。

 そうしているうちに、その個体の動きが鈍くなるのが分かった。疲れたのか、どうなのか。

 見てみると、先ほどまで凹字形だったクレイは、もとの丸に戻ると、カプセルに近づいてきた。カプセルの中の個体はもう動かなくなっていた。

 私は何故か、とんでもなくひどい過ちを犯したような、胸の苦しさに襲われていた。

 罪悪感に負け、私はカプセルを取った。

 カプセルの中にいた個体は、それこそ、石のようだった。

 凹字形だったクレイは、カプセルの個体へと歩み寄ると、その側に居座った。やがて彼らとは別のクレイたちが、カプセルの個体のまわりを取り囲むように集まってきた。

 そこで私は、

 ――ああ、死んだんだ。

 と思った。

 クレイたちは、本当に死を悼み、悲しんでいるのだ。彼らは死を知っている。恐れるだけではない、道徳的な死を知っている。彼らには、愛があったのだ。

 愛だ。

 それだけで、すべての説明がつくかのように思われた。

 彼らは愛を力に生きていたのだ。彼らは愛し、愛されるために存在していた生物だったんだ。だから融合する。そのために身を削ってでも分裂する。ほんとうの愛は、生物の本能を凌駕する。まるで人間だ。いや、人間以上だ。彼らは、愛だけのために生きているのだから。

 私は思わず泣き出した。大切なひとを殺してしまったように。大声を出して泣いた。そして何度も謝った。

 クレイたちが、私を見ているように感じた。どっと罪悪感が押し寄せる。しかし違った。彼らのまなざしには暖かみがあった。まるで、何をも受け入れるかのような暖かみが。

「愛、だ……」

 私は、クレイたちを愛していた。

 クレイたちもそうあってくれればいい。

 そっと手を伸ばすと、彼らは凹字形になって私を迎えてくれた。


 愛し愛されて、愛になる。


 そうして私は、他でもない彼の一部となれた。


 私は、“I”になった。

 

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