当たり前と常識

当たり前と常識はニュアンスが違う気がする。ただし俺の中に限る。
当たり前っていうのは例えば
「体を動かさずに食べてばかりいると太る」
「睡眠はとらないといろんな意味で死ぬ」
「相手にとって失礼な態度をとり続ければ機嫌が悪くなる」
とかそういうレベルの話。何の変哲もないすごく当たり前なお話。

これは基本的にどうしようもない。太らない体質でもない限りは食べれば食べただけ太る。
エナジードリンクやカフェインに頼り続ければ体が壊れる。どんなに寛容な人であってもガンジーでも助走つけて殴るレベルは無理。
わかってても近道に縋りたくなるのが人情だけどね。

じゃあ常識って何だろう。
使われているニュアンスからすると、マナーやその業界に必要な知識等。
どことなく「当たり前」を達成するための手段に思える。一部普遍的なものはあるけど、地域とか業界によって違うとかよくあるし。
とある地域や業界では必須の知識だけど、他で通用するかは不明な適用範囲が狭いものといった感じ。

当たり前は見つけ出すものだけど、常識は作り出すことができるって差もあるかな。
マナー講師とか。ありゃ常識を作るんじゃなくて失礼を作り出す輩だけど。ろくな意味がこもってなくてとても嫌い。
もちろん型があったほうが安心する人もいるし、マナーの型がある場所もある。茶道とか各種武道とか式典とかね。そこは郷に入りては郷に従え。
そういうとこに参加するのであれば学ぶべきものではある。TPOは大事。

常識を疑えって言葉はこういった「当たり前」を見据えたうえで、手段としての常識を疑うものなんじゃないかなと思う。
極論を言えば、周りが不快にならなければマナーなんて守る必要は一切ない。そういう場ではむしろマナーを強制するほうが浮くこともある。
これは他所の身内ネタを持ち込むようなもんだからケースバイケース。
この辺のすれ違いも人が分かり合えない理由の一つだろうなあ……

既存のルールの意味なんかを知りたくなるのはルールの先にある当たり前が気になるのかなーとか思ったりする。

Q当たり前を語ってるけどお前はできてんの?
Aさあ……基本的に郷に入りては郷に従うし、人の言動を正したりはしないけど、時に踏み込みすぎたり倫理観が強く出すぎることとかあるね。反省

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