目的と結論と

目的ありきと結論ありきは一見見分けがつかない。
ある目的のために様々な情報を集めることと、ある結論のために様々な情報を集めることは非常によく似ているから。
しかしよく見てみるとその中身はまるで違う。本当によく見ないとわからないけど。
一番大きな違いは目的を達成するためなら手段は問わないという態度と、結論を変えないためなら手段を問わないという態度。
これを見分けるのは非常に難しい。後者は結論を変えないことが目的になってくるからだ。よく見ないとわからない。本当に。
では違いとしてどんなことが浮かんでくるのか。

簡単かつ恣意的に思いつくところだと結論ありきは都合の悪い情報を無視、改変、解釈を変える等情報をゆがめても構わない。というか無自覚にやることも多い。
意志が固いとか我を通すとか筋を通すとも違ってくる。
なんて言えばいいんだろう。例えば天動説と地動説の争いによく似てるんだけど、地動説が挙げた証拠がでたらめなものであったなら地動説は結論ありきになると思う。
現実には天動説派が「それまでの説を覆さない」という結論ありきで、地動説派が「客観的な事実を求める」という目的ありきの態度になった感じ。
勝てばよかろうというのともちょっと違うけど、証明は大事だよねーという話かも。
もしかしたら結論ありきの態度も何かを守っているだけなのかもしれない。天動説が守っていたのは何だろう。宗教も絡んでた気がするけどよく覚えてない。
絡んでたらなんにせよ大切なのは神の御意思みたいなもんかな。あの時代の知識ってそんなところあるし。あるよね?
恣意的にならず、自分が出した結論を守るという態度は大事だよねーって話かもしれない。

じゃあ目的ありきの態度はどんな感じかと言えば。これまた恣意的に思いつくところだと目的のために手段は問わないところ。
何が違うのさ?と思うだろうけど、従っている結論は固定されていないのが大きな違い。とにかく目的に達成すれば良いわけだ。
最終的にはそれこそ法律も秩序も何もなく、ただ目的に向かって邁進するだけになる。そこまで行く人間少ないだろうけどね。結論ありきと違ってわかりやすく緊急時なんかはこれ大切。津波てんでんこ。
地動説はどんな目的に向かったか。真実というか事実というか、そんなものが着地点だね。天動説派の人から見たら地動説派が結論ありきの人間に見えるわけだ。面白い視点。
その後結局それでも地球は回っていることが証明されたわけだけど。今ある結論もいつひっくり返るかわからないよねーって態度は重要なんだと思う。

チルノがかわいいって結論はいつかひっくり返る時が来るんだろうか。


ありがたいことに私の狂気は君たちの神が保証してくれるというわけだ
よろしいならば私も問おう
君らの神の正気は一体どこの誰が保証してくれるのだね?

少佐殿


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