あの頃と変わったのか、それともただ私が知らなかっただけなのか



この前久しぶりに電話で話した人がいて。
まあその人とも本当に色々あってなんで今仲良くできてるんだろーって不思議なくらいの人なんです。
色々相談もしてたし、あーこの人いい人だなあって思ってた人。


基本的にはメッセージのやり取りだけだったから、電話ほんとに半年ぶり?くらいで。
お互い忙しかったのもあったしなんならしんどい山を超えたばかりの人だったので、たくさん労ってあげよう!の気持ちでいたんですよ。
電話始まって開口、一番おつかれさま!!よく頑張ったね!!!って言ったら、「いやだるいって」。
アッ………って普通になっちゃって。


そこからというもの、私が言うこと言うこと全部否定から入ってくるというか。
「え?なんで知らないの?」「私その人嫌いなんだけど」「マジで意味わかんない」「そんなんで〇〇を語んなよ」「面白い話なんもないの?なんで?」みたいな。
エッ………こんな人でしたっけ…………と思ったと同時に、否定されまくるのがしんどくてついに一旦ミュートにして泣き喚いてしまったんだけど(大丈夫そ?)、ミュート解除した瞬間の相手の一言、

「お待たせ〜」
「泣き止んだ?」

エッ───……………

あんたのせいやが…………
なんでそんなラフに聞けるん………


となり、寝るって言って電話を切ってそれ以来会話が途絶えました。



昔はこんな人じゃなかったのにな。って思ったんだけど、いやほんとにそうだったか?と思い直した。
その人の性格が変わってしまったのか、自分の受け取り方が変わってしまったのか、あるいはどっちも何も変わってないけどまだ見えていなかった部分が増えただけなのか、とか。
いろんな見方ができるけど、ひとつだけ変わらないのは、その人がその人であることで。
それを受け入れるのも受け入れないのも自分次第だし。人は自分の力では変えられないし。かといって自分がその人に合わせて変わるのはナンセンスだし。
こうやって人生における必要なエッセンスだけを抽出して、どうにかもがいて幸せになっていくのかーって、そう思うとなんだかつらくなった。


できるだけ優しい人でありたいと思う。
できるだけ何かを与えられる人でありたいと思う。
でもそれはいつまでも偽善者であるのと一緒なんだろうなと思うと、自分の幸せってなんなんだろうって考えてしまう。
だからと言って自分が幸せになるために、心を持つ人間を切り捨てることが簡単にできない。
それが少しずつできていけるようにならないと、幸せにはなれないのなら、別に幸せじゃなくてもいいんですが、心の奥底ではずっと幸せになりたくてどうしようもない。期待を、見返りを求めたら、人生なんか終わるのに。




あっちなみにINFJ-Tです(急に?)。
最近ドアスラムのことを知って、うわめっちゃやるわ私。と思いました。
今回もきっとドアスラムの一種なんでしょうねー。知らんけど。



まあ何はともあれ、どこかで元気にやっててくれれば、それでいいです。





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