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人生邂逅 ・まなび編         ◆仏教読書会から -49

宮坂宥洪著 真釈般若心経より

本読書会も、11月で3年目に突入しました。

最初のテキストが 高神覚昇先生の般若心経講義
次に歎異抄、 正法眼蔵随問記、 空海秘蔵法鑰 ときて、

もう一度「般若心経」に戻ってきました。

やはり、仏教の原点はここにあるとの理解からです。

2年間の仏教読書会を経て、再度般若心経の解釈に臨むことになったわけですが、まずこのテキストを読んで、感じたことは

・文章がとても分かりやすいこと

・般若心経を映像化していてイメージとしてとらえられる

・以上のことから、般若心経を前回よりは、ずっと身近に感じられる

といった印象を持ちました。

冒頭で、般若心経は一幕もののドラマである。

と説かれています。

舞台は霊鷲山という山の頂で、釈尊が好んで説法をされた場所で
山頂の岩の形が鷲に似ていることから名づけられた山です。

釈尊は瞑想に入っており、それを見守る聴衆は皆「そのとき」を静かに待っている

聴衆の中でただひとり、観自在菩薩(在家の求道者)も瞑想に入り、ある修行を完成させる。

それは、「深遠なる般若波羅蜜多の修行」で、「智慧の完成」という修行。

これは具体的にどのような修行だったかは、後段にて述べられるそうです。

で、そこに居合わせたシャーリーシーブトラ(舎利子)という名の長老が
観自在菩薩の修行に驚嘆し

観自在菩薩に質問する。

この掛け合いから始まり、観自在菩薩が舎利子に修行で得た境地と修行の方法について説く

そして最後に、釈尊が観自在菩薩を誉め称えると聴衆もみな喝采し喜んだ。

という筋書きだそうです。

まさか、経典がそのようなドラマ仕立てになっているなどと思いもしなかったので驚きとともに、これから般若心経を唱えるときにその光景が浮かんでくるようで、また新たな楽しみが増えたように思います。

さらに、この経典の最後には「「羯諦羯諦…(ぎゃていぎゃてい…)」とただ呪文のごとくに祈りなさい。と、その般若波羅蜜多の修行の何たるかが記されています。

この解釈を聴いていて思い至ったのは、先日の「一万人の第九」です。
というか、第九。 

で、
「世界中の人々よ、抱きあえ! 星の輝く天空の上には父なる神がきっといらっしゃるだろう」と世界の平和をこころから祈るのですが、

般若心経は祈り、すなわち信言を説いた経である。と説かれていることからも、第九と般若心経は大いなる共通点があるように思われます。

すこしこじつけ気味にはなりましたが、それほど的外れではないように思っています。

ひとの願うことは古今東西を問わず、普遍性があるということでしょう。


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