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人生邂逅 ・まなび編 ◆日常から -34

※記憶が失せないうちに繰り上げ掲載  
摂津文化大学講演会 9月23日 
 磯田道史先生の講演 「徳川家康を語る」から


講演をお聞きした時は、生であるしこれまで知らなかった逸話をたくさん聴けて、感動したのですが、いざ、文字に起こし始めると、なんとも味気ないものになってしまいました。
まさに、表現力、文才のなさを痛感します。

先生は、幼少期に自宅の古文書に触れ、興味を持ったことがきっかけで歴史学の道へ進み現在に至るとのこと。

自宅に古文書があること自体が凄い!

大阪での講演機会は少なく、今回で2回目だそうです。

218枚ものスライドを用意され、とても90分では話し切れないのですが、
古文書を読み解きながら、家康にまつわる逸話を披露して下さいました。

知識豊富、情報満載でお話があちこちに飛ぶので、正直ついていけなかったのですが、
聞いたこともないお話も多く、興味は尽きません。

記憶に残っている逸話をいくつかご紹介します。

1.家康自身の逸話
 1)道(道理)を踏んでいるように見せるのが上手 ~ イメージ作り
   ・武田氏を滅ぼした際に、武田軍の強さを見習おうとするのですが、
    あえて取り入れなかったものとして、矢があるそうで
    武田軍の矢は、人体に刺さった矢を抜こうとすると矢じりだけが
    そのまま残るようになっている。これでは、負傷者に末永く恨み
    を残すことになると考え、あえて採用しなかったそうです。

 2)警護を固めるために取った策
   ・三方ヶ原の戦いで大敗を喫し家臣を従えて敗走する際、暗闇の中で    
    左右に唾を吐きかけたそうです。
    後日、家臣の刀を改め、唾がついている家臣を探し出し、恩賞を与        
    えたのです。
    自分の周りを固め守ってくれた家臣として評価したのです。
    これが知れ渡り、家康の警護は自然と盤石なものになったとか。

 3)痛恨の決断ミス
   ・今川につくか織田につくか迷った挙句、織田を選んだのですが、
    この決断は早まった。と後になって大いに悔やんだそうです。
    時期尚早!
    この時期はまだ、今川と織田の勢力にはさほど差がなかったのです
    織田につく決断を遅らせていれば、築山殿も信康も死なせずに済
    んだはず。と。

2.家臣について
 1)鳥居忠吉(イッセー尾形)との涙の別れ
   ・人前では涙を見せなかった(ドラマではよく泣いていますが)家康
    が、鳥居忠吉が死期を悟って、別れを告げた際には誰はばからず
    涙したそうです。
    彼の忠誠心と命がけの諫言などへの思いがあってのこと。

 2)本田忠勝(山田裕貴)命知らず
   ・戦闘派忠勝の武勇伝として、戦の最中に、焼斧(高温に熱された
    斧)を素手で握って、その握りっぷりを勝負する場面があり、
    即座に名乗りを上げ、見事に勝利したとか。
    まさに、命知らず怖いものなしの猛者ぶりを象徴しています。

 3)酒井忠次(大森南朋)分をわきまえる
   ・武田軍を滅ぼし、その軍を誰に預けるか家康が思案し、最初
    忠次に預けようとしたそうですが、忠次は即座に申し出を断り、
    井伊直正を推挙したそうです。
    これからは、若い世代に任せるべき。と。
    あっぱれ忠次。でしょう。


最後に、磯田先生は、「絶対に生まれてきたくなかった時代」に触れ、
間違いなく、戦国時代を挙げるでしょう。とのこと。

生きていること自体が奇跡のような時代ですから、当然と言えるでしょう。


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