人生邂逅 ・まなび編 ◆仏教読書会から -39
正法眼蔵随聞記 四節 8-2項 「善悪ということ定めがたし」より
世間の綾羅錦繍(りょうらきんしゅう)をきたるをよしと云ヒ、麁布糞掃(そふふんぞう)をわるしと云フ、仏法には是レをよしとし清シとす。
(口語訳)
世間の人は、あや・うすもの・にしき・ぬいとりなどの高価な着物を着たものをよいと言い、そまつな布、人が捨てた布で作った着物を悪いと言う。 しかし、仏法ではかえってこの麁布、糞掃の衣をよいとし、清いとする。
※麁布は粗末な布、糞掃は掃き溜めに捨てられていた布。人の欲心が一つも残っていないので、仏教では清浄の衣とし、これをよく洗い、つづり合わせて袈裟を作る。
禅宗は、質素、貧乏を極端に尊ぶ精神があります。
この一文は、その典型ともいえます。
端的に言うと、
一見粗末に見えるものこそ、価値がある。ということだと解釈します。
なお、
ココを読んでいて私の頭に浮かんだのが、北海道大学応援団のボロ羽織。
北大応援団はすでに、創団100年を超える歴史があり、その歴史の中で培われてきた文化があるのですが、
その中でも出色は、七大戦の演舞披露の際の「檄文」。
もとは、小樽商科大学との定期戦での対面式で披露することで有名になり 現在も名物行事として、続けられています。
この檄文を読み上げるときに着る羽織が、まさに麁布糞掃。
ぼろぼろ、つぎはぎだらけ、近くによるとただならぬ匂いが襲って来そう。
しかし、これがなんとも様になっており、かっこよく、心を惹かれるのは
なぜか?
北大応援団100年の歴史の象徴(?!)
この羽織袴には、その100年の歴史が沁み込んでいる。ように感じられます
もちろん、100年前の布がそのまま残っているとは思えませんが、少なくともその精神は脈々と受け継がれてきていることは間違いありません。
禅宗では、袈裟衣がまさにそれで、ボロであるほど尊い。 のだそうです。
物を粗末にしない、ものに命ある限り使い続ける発想は、まさに禅宗の基本です。
これぞ、SDGs!
北大応援団には、禅宗の精神が宿っているのだと感じ入った次第です。
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