人生邂逅 ・まなび編 ◆体験談から -19
JDI 海老名オフィス開設 ~ 人生で最もパニクった経験?!
2012年4月。JDI(ジャパンディスプレイ)に転籍、海老名オフィス立上げの役割で総務を担当。
この時は、洋々たる船出と信じていました。
厚木市にあるソニー厚木テックから、相模川を隔てた隣になる海老名市のJDIに開発、設計のメンバー120名ほどが転籍。
ほかにもセイコーエプソン社から20数名。
皆がそれぞれに、胸中複雑な想いを抱えながらの船出でした。
一日で、A社からB社の社員に変わる。ということがどういうことか。
さらには、まったく新たなオフィスをゼロベースから立ち上げる。
それも、オフィス専用の高層ビル(25階建て)に実験室や大型評価装置を設置し運用する。
なんともチャレンジャブルな試みでした。
社員を受け入れるための施設、設備こそ出来上がってはいましたが、それらを運用するルールなどは、ほぼ白紙同然。 とにかく、走りながら整えていく。といういわゆる見切り発車でした。
まず、最初のパニックは、
開所当日。
社員の身分が変わることに応じて、前職で使用していた社員証、セキュリティーカード、携帯電話などを回収し、新たにJDI社から支給するものを渡すのですが、 この時本社からの助っ人が間に合わず
私一人で、120名を相手にすることになりました。
これは、さすがに大混乱。
作業は単純なのですが、一度に100名以上に対応するのは・・・?
一覧表で対象者名を探し、チェックを入れ、預かり品を受け取り、所定の場所に収め、変わって新しいものを探して渡し、受け取り票にチェックを入れる。
私の処理能力の問題と事前段取りの悪さもあったのですが、 この時の右往左往ぶりは今でもはっきりと覚えています。
頭は完全にオーバーヒート! 思考は停止状態。
ここまでの切羽詰まった経験は、それまでに一度もなかったでしょう。
ただ、ここで救世主現る。 地獄に仏。 見るに見かねて、他部署の社員の中から手伝いを申し出てくれたのです。
これでなんとか、初日の大山を越えることができたました。 感謝!感謝!
その後も、オフィスの運用ルールについても机上の案はあるものの、実運用してみると抜けがいっぱいで、都度修正を加えるのですが、ここでも他部署の課長さんたちが積極的に知恵を貸してくれたのです。
こうして、薄氷を踏む思いをしながらも、多くの協力者に支えてもらいながら、何とか無事(???)船出できました。
そういう意味では、最初の1か月が私にとっては、すべてだったように思います。
総務課員1名。という、なんとも無謀な計画が結果的には幸い(?)し、 海老名オフィスの社員全員が自分たちの手でより良いオフィスにするために知恵を出し合う文化が生まれたのです。
北川一人にはとても任せてはおけない。と。
その後は、派遣社員の女性を採用してもらい、総務2名体制で定常運転となります。
結局、ここでは3年間の勤務となりましたが、この間3名の派遣さんにサポートをして頂きました。
みなさん、それぞれに個性があり、またとてもホスピタリティーに富んだ 素晴らしいかた達で、オフィスではオアシスのような存在でした。
もうだめかと思っても諦めなければ、どこからかフォローの風が吹いてくる。
ときには、社外からの風を感じさせてもらうこともありました。
それを体感できたのが海老名オフィスだったように思います。
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