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no name「#6 名前にまつわるエトセトラ」

前回までのあらすじ
私は第8軍団第8機械化歩兵連隊第244中隊の第1小隊で衛生兵として働く量産型NIKKE。作戦中にラプチャーとの交戦で機関銃手のエブリンが片足切断、新兵のナオが機能停止寸前という大きな損失を受けた。ラプチャーを撃破した私たちは援軍と合流するために来た道を引き返す。その途中でナオを完全に修復するための手段があると指揮官から知らされ、その真相を知った私は嬉し涙を流した。


 少し風が強くなってきたかと思うと西の方から雲の量が増えてきた。あれほど強かった日差しがほんの少しだけ弱くなる。私たちの進む道路を砂埃が舞う。道路の両側には破壊された人間の生活の痕が点々と並んでいる。ステーキレストラン、薬や雑貨も売る飲食店、ガソリンスタンド、或いは何の建物かわからないほど崩壊したものが、前方から現れては後方に消えていった。
 ナオを乗せた担架を運ぶ私の腕はかなり疲労感を覚えている。担架の前を運ぶエリカ、エブリンを運ぶミシェルとミーシャもきっとそのはずだ。ハンナは周囲を警戒しながら先頭を歩いている。かなりの緊張感にさらされているはずだ。指揮官は睡眠不足と午前中の熱気の中で4時間以上歩いている。人間にはかなり過酷なはずだ。

 担架を持つ腕に力が入らなくなり始めた。まずいなと思っていると、突然指揮官が大声で命令した。

「全員止まれ!担架はあそこの瓦礫の後ろへ!間隔を取れ!フォーメーション維持!」
 指揮官が右の沿道にある崩れた自動車修理工場を指差す。私たちは担架をそこに隠してからそれぞれが別々の遮蔽物に身を隠した。私は道路脇の真っ黒焦げになって破壊された自動車の陰に隠れた。背中に背負っていたサブマシンガンをケースから出し、安全装置を射撃位置にして膝立ちで構えた。道路のはるか向こうから何かがこちらへ近づいているのが確認できた。ラプチャーの襲撃だろうか、ここまで来て。
 緊張して少し手が震えるのを感じる。銃弾の飛び交う戦場で救護をするのは慣れているが銃を構えるのも撃つのも苦手だ。それにラプチャー相手にこんなサブマシンガンじゃどうにもならない。
 ピリピリした空気が張り詰める中でも空は相変わらず憎たらしいほどいい天気だ。名前も知らない鳥が数羽、飛んでいくのが見えた。時折、強い風が吹いて砂ぼこりを巻き上げる。
 向こうから近づく黒い点がだんだんと輪郭を成していった。しかも幾つもある。緊張がさらに高まる。数メートル離れた位置にいるエリカを見ると壊れたコンクリートブロック塀の陰に隠れてサブマシンガンを構え前方を見つめている。
 今度ラプチャーに出くわすとしたら先ほど破壊したのと同じような斥候ラプチャーではなく本隊に違いない。最低でも30体はいるし必ずロード級以上がいる。ロード級の火力は凄まじく1体で量産型NIKKE小隊なら5個小隊に匹敵すると言われている。もし多連装ロケットを撃ち込まれたら数秒で私たちはアスファルトの黒い染みとなるだろう。
 毎回地上に上がるたびに死を覚悟するが、自分を追い詰めすぎると仕事に差し支えるので「出来るだけ多くの味方を助ける」という衛生兵としての任務に集中することを心掛けている。

 ここに配備される前は仲間意識をなるべく持たないようにしていた。

 この小隊に来てから一年で、私のなかでいろいろなことが変化した。小隊のみんなは優しいし頼もしいし何より一緒にいて楽しい。変な依存心もなくお互い足りない所を補ってお互いを尊重している。
 エリカは指揮官のサポート役で頼れるNIKKEのリーダー。エブリンはぶっきらぼうだけど裏表がなく安心して何でも話せる。ミーシャはぼんやりしてるように見えていつも物事の核心をつく。ミシェルは常に冷静だが誰よりも優しくて温かい。ハンナは明るくて面倒見の良いムードメーカー。ナオは配備されて間もない支援要員だが真面目でひたむき。
 みんな相手に干渉し過ぎることもなく、かと言って他のNIKKEに関心がないわけではない。自分の仕事に誇りを持ち、それぞれが自分の持ち場で最善を尽くそうとしている。ここで働くことにやり甲斐を感じている。
 この小隊に来るまで仕事にやり甲斐を持つという考えすらなかった。それを考える余裕がないほど衛生兵メディックは忙しかったし、他のNIKKEとも仲良くしようと思わなかった。良好な関係を築こうとしてくれたNIKKEもいたのだが私が自ら壁を作りそれを拒絶してきた。私たちは機械で人型兵器でいつかは壊れて廃棄されるのが当然なのだ、と思い込むことにした。そっちの方が楽だった。
 しかしNIKKEには感情や感覚がある。涙を流したり笑ったりできるし痛みも感じる。そして記憶を持つことができる。記憶と感情が結びつけばただハードウェアに保存されているだけの情報とは違うものになる。
 感情や感覚に色づけされた記憶は人間のいう「思い出」に他ならない。私たちはすぐに壊されることを前提とした使い捨て兵器なのに「思い出」をつくることもできるのだ。こんなひどいことがあるだろうか。
 私が壊れるならまだマシだ。でも仲間が、仲間だと思っているNIKKEや人間が死んでしまったら仲間と過ごした優しい思い出が苦い毒になってしまう。
 優しくて穏やかで和やかであればあるほど、二度と戻らないと分かった途端に辛く苦しく抱えきれないものになる。それが「記憶」というものだ。そんなものなら最初からなくて良い。
 最初は小隊のNIKKEたちのことも名前で呼びたくなかった。誰のことも記憶したくない。楽しい思い出など残したくない。地上に上がるたびに死ぬつもりで働いた。
 しかし、そんな私でさえこの小隊のメンバーは受け入れてくれた。名前なしで良いと認めてくれた。私が自分から彼女たちの輪の中へ入るまで何も強制されなかったし、見捨てられることもなかった。小隊のメンバー全員からそんな扱いを受けたことは今まで配備された小隊では一度もなかった。
 私はいちばん恐れていた居心地の良い場所をついに見つけてしまった。第8機械化歩兵連隊244中隊第1小隊は離れたくない場所になってしまった。
 そしてそれをずっと何も言わずに見守っていたのが指揮官だ。
 年に数回しかない小隊全員が休みとなる日には、指揮官が宿舎の休憩室で映画を観せてくれた。第1小隊の希望者だけということになっていたし指揮官は強要しなかったが、いつもそれを小隊の全員で観た。観せてくれるのは旧時代の作品ばかりでそれが私たちにも珍しかった。
 いちばん最近見た映画ではミシェルが後半あたりからずっと泣いていた。辺りを憚らず流れる涙もそのままに、マスクを付けたままで彼女はラストシーンではもう号泣と言ってよいほどだった。ミシェルは、作戦時はもちろんシャワーや寝る時でさえガイコツを模したマスクを付けて顔の下半分を隠している。その理由は誰も知らないし聞いてみる者もいなかった。
 オリーブ色のTシャツと迷彩カーゴパンツ姿で両手を膝の上に置いて、嗚咽しながら映画を見るガイコツマスクのミシェルはシュールですらあったが、彼女のクールさと温かさをよく知る私たちはそんな彼女がとても愛おしかった。気がつくと開始15分で寝息を立て始めたミーシャ以外の全員が順番にミシェルを抱きしめて一緒に泣いた。私もそうした。ミーシャはその頃には熟睡中で、そのあと涙の枯れた私たちから顔にイタズラされることになるがそれは1時間ほど前に説明した通りだ。
 その映画に、どこまでも続く真っ直ぐな道路をオープンカーに乗った兄弟が走るシーンがあったのを覚えている。それはいま目の前から地平線まで伸びる道路によく似ていた。そんな道路はアークにはない。
 映画のテーマ曲がとても重く物悲しいのに温かみを感じてすごく心地よかったのが忘れられない。
 旧時代の自動車に詳しいナオが映画に登場する自動車について熱く語ったのが忘れられない。主演俳優に対してハンナがすごく小さな声で「かっこよすぎる…」と囁いたのが忘れられない。途中のキスシーンでエリカが前のめりになっていたのを後ろからニヤニヤして指揮官が見ていたのが忘れられない。
 ミシェルは、アクション映画のように目隠しされても彼女の自動小銃アサルトライフルの分解組立ができる。実際この1年間で唯一彼女だけが武器の不具合を起こさなかった。さすが軍需産業エリシオン社製のNIKKEだけあって、いつもは偵察や遊撃といった特殊な任務を単独でこなす完璧兵士パーフェクトソルジャーだ。そんな彼女が兄弟の絆を描いた映画に感動してしゃくり上げて泣いていたのが忘れられない。どれも素晴らしい思い出だった。そしてそんな思い出は他にもたくさんあった。
 もちろん楽しい思い出ばかりではない。
 車両の運転や整備を行う特技兵のナオが配備される前は別の支援要員としてナオと同じエリシオンネクスト製の量産型NIKKEが配備されていた。ある日の作戦でトラックで移動中にラプチャーの襲撃を受けた。運転していたナオの前任者はトラックの窓越しに銃撃を受けて頭部が吹き飛んだ。彼女はハンドルを握ったまま機能停止した。頭のあった部分からは激しく組織液が吹き出してトラックの運転席を毒々しい色に染め上げた。頭部は破片となって彼女の足元のアクセルペダルの近くに転がっていた。
 彼女はとても物静かなNIKKEで他のNIKKEとほとんど話すことがなかった。しかし824中隊バスケットボール大会で彼女は決勝戦までの5試合で778得点というとんでもない記録を出し大活躍した。いつもオイルにまみれて黙々と車輌に向き合っている彼女が、大声でバスケットコートを駆け回っている姿を今でも明確に覚えている。結局第1小隊は優勝を逃してしまい、全員でハグしあってわんわん泣いた。指揮官がそこに混ざろうとして第2小隊長に笑顔で制止された。その時は第1小隊だけでなくが爆笑した。
 そんなキラキラした思い出を残して、何の前触れもなく彼女はトラックの運転席でガッデシアムの塊になった。特に彼女と仲の良かったエブリンは彼女がいなくなったことで相当なショックを受けたはずだ。しかしエブリンは感情を押し殺して気丈に振る舞った。それを見ていると胸が痛かった。
 思い出は数えきれないほどある。二度と経験したくない凄惨なものも他にもたくさんあるし、楽しくてキラキラしていて、私たちが女子校の生徒だったらもっと楽しいものなっただろうという思い出もある。そのどれもが色褪せない思い出。大事な思い出だ。
 しかし私たち量産型NIKKE7体などラプチャーのロケット弾数発で道路の染みに変えられてしまう。そして指揮官は人間だ。ラプチャーの機銃弾1発ですぐに死ぬ。指揮官のもとで働けてよかったと感じることは何度もあったが、その指揮官は明日生きているか分からない。安心感や居心地の良さを感じると、今度はそれを失うのが余計に怖くなった。今日、私が必要以上に指揮官に冷たい態度を取る理由は疲れているからではない。指揮官を死なせてしまったら思い出に苦しめられるからだ。
 しかし私が死んだところで新しいオーシャンタイプが配備されるだけ。
 なのに今は大切な思い出を失うのが怖い。私が壊れて大切な仲間たちが悲しむのが怖い。いや、そもそも私が死んだら悲しんでくれるのだろうか。
 私は人の形をした兵器で名前などなかった。名前のない物は捨てても悲しくない。毎日使うコップや気に入っている服に名前を付ける人はいない。捨てれば新しいものを手に入れれば良い。
 私を含めて第1小隊のNIKKE達はみんな量産型だから自分と同じ姿形をして同じ声で話す存在が世界に何千体といて人間のためにラプチャーと戦っている。
 しかし私たちには指揮官が付けた名前がある。ミシェル、ミーシャ、ハンナ、エブリン、エリカ、ナオは量産型でありながら唯一の存在だった。私はその中に入るのが怖かった。特別な存在になってみんなの記憶に残るのが怖かった。

 気が付くと雲が空の半分以上を占めていて、完全に曇り空になっていた。地上の乾燥地域はほとんど雨が降らないが、降る時にはまとめて振るのだと聞いたことがある。雨が降るかどうかは情報収集が担当のエリカが知っているだろう。しかし、今はそれはどうでも良かった。
 前方から迫ってくる黒い点は次第に大きくなりまっすぐ私たちのもとへ向かっている。ここは地上だからラプチャーか味方の増援かどちらか以外には有り得ない。どうかあれが味方であってほしい。今日も無事に過ごして、この素敵な仲間たちとの素敵な時間を少しでも多く送りたかった。
 私はサブマシンガンのグリップを強く握りなおし、迫ってくる黒い塊に銃口を向け続けた。

続く。

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